今週末公開オススメ映画リスト2013/02/21+α

週刊オススメ映画リスト

今回は『世界にひとつのプレイブック』『マーサ、あるいはマーシー・メイ』の2本とおまけの『逃走車』コメントです。

『世界にひとつのプレイブック』 デヴィッド・O・ラッセル

まずは『世界にひとつのプレイブック』試写室日記をお読みください。時間がなくてまだレビューを書いていませんが、とても気に入っている作品なので、近いうちにアップするつもりです。

心配なのは、この映画が評価されるにしてもされないにしても、心を病んだ男女を主人公にした一風変わったラブコメのように安易に位置づけられてしまうことですね。

映画の背景として、たとえば、アラン・V・ホーウィッツ&ジェローム・C・ウェイクフィールドの『それは「うつ」ではない:どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由』やゲイリー・グリーンバーグの『「うつ」がこの世にある理由:作られた病の知られざる真実』、デイヴィッド・ヒーリーの『抗うつ薬の時代:うつ病治療薬の光と影』、『双極性障害の時代:マニーからバイポーラーへ』など、共通するテーマを扱った本がたくさん出版されていることの意味を考えてみる必要があるかもしれません。

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『魔女と呼ばれた少女』 『汚れなき祈り』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『魔女と呼ばれた少女』 キム・グエン

政治学者のP・W・シンガーが『子ども兵の戦争』(NHK出版)で浮き彫りにしている子供兵の問題を独自の視点で掘り下げた作品。アフリカの子供兵といえば、ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督の『ジョニー・マッド・ドッグ』が思い出される。だが、この映画は、視点や表現がまったく違う。

『ジョニー・マッド・ドッグ』が主にリアリズムであるとすれば、こちらは神話的、神秘的、象徴的な世界といえる。水辺の村から拉致され、反政府軍の兵士にされた12歳のヒロインは、亡霊が見えるようになり、亡霊に導かれるように死線に活路を見出す。

そのヒロインと絆を深めていくのが、アルビノの子供兵であることも見逃せない。それについては、マリ出身のアルビノのシンガー、サリフ・ケイタの『ラ・ディフェロンス』レビューを読んでいただきたい。そこに書いたような背景があるため、このアルビノの子供兵もまた、ある種の神秘性を帯びると同時に悲しみの色に染められる。

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アキ・カウリスマキ 『ル・アーヴルの靴みがき』 レビュー

Review

最も人に近いところにある職業に見るカウリスマキ監督の神学

アキ・カウリスマキの新作『ル・アーヴルの靴みがき』の舞台はフランスの港町ル・アーヴル。靴みがきを生業とするマルセル・マルクスは、献身的な妻アルレッティと愛犬ライカとつましく暮らしている。

そんなある日、病に倒れて入院したアルレッティと入れ替わるように、アフリカからの難民の少年イドリッサが家に転がり込んでくる。マルクスは少年を母親がいるロンドンに送り出すために奔走するが、その頃、アルレッティは医師から不治の病を宣告されていた。

この新作はカウリスマキにとって『ラヴィ・ド・ボエーム』(91)以来のフランス語映画になり、マルクスも再登場するが、単なる後日譚にとどまらない。新作以前に作られた『浮き雲』(96)、『過去のない男』(02)、『街のあかり』(06)の三部作では、深刻な経済危機から、痛みをともなう改革、グローバリゼーションの波に乗る繁栄へと変化するフィンランド社会が背景になっていたが、そんな社会的な視点の延長として難民問題を取り上げているだけの作品でもない。

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今週末公開オススメ映画リスト2012/04/26

週刊オススメ映画リスト

今回は、『ル・アーヴルの靴みがき』『孤島の王』『ジョイフル♪ノイズ』の3本です。

『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ

『街のあかり』(06)以来、5年ぶりの新作。『ル・アーブルの靴みがき』試写室日記の方にいろいろ感想を書きましたので、まずはそちらをお読みください。

現在発売中の「CDジャーナル」2012年5月号に、「カウリスマキの神学」というタイトルで本作品のレビューを書いておりますので、ぜひお読みください。

試写室日記では、この新作でカウリスマキが新たな次元に踏み出していて、そこには昨年末に公開されたレイ・マイェフスキの『ブリューゲルの動く絵』(11)に通じる視点があるといったことを書きました。いったいどう繋がるのか首を傾げた方もいらっしゃるかもしれませんが、はったりをかましたわけではありません。「CDジャーナル」のレビューでは、『ブリューゲルの動く絵』も引用し、繋がりを明らかにしております。

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『ル・アーヴルの靴みがき』 『レンタネコ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ

アキ・カウリスマキにとって長編映画としては5年ぶりの新作であり、『ラヴィ・ド・ボエーム』(91)以来、2本目のフランス語映画となる。その『ラヴィ・ド・ボエーム』は観ておいたほうがよいと思う。マルセル・マルクスが再登場するだけではなく、物語がそこから再構築されているところがあり、現在のカウリスマキの境地を理解する手がかりになるからだ。

映画を観ながら、昔カウリスマキにインタビューしたとき、空間の造形についてこのように語っていたのを思い出した。

「時代についてはいつもタイムレスな設定をしようという気持ちがあります。たとえば普通は、70年代と50年代の家具を組み合わせるようなことはしないと思いますが、わたしは同じ画面のなかにいつも異なる時代を混在させています。 そして最終的には50年代へと戻っていく傾向があります。わたしは実際にその時代を体験したわけではありませんが、とても好きな時代なのです。誰もが経済的には貧しかったが、とてもイノセントで、もっとお互いに助け合い、幸福な時代でした」

そういうセンスにさらに磨きがかかっている。カウリスマキが、『浮き雲』(96)、『過去のない男』(02)、『街のあかり』(06)という三部作を完成させたあと、どういう方向に向かうのか大いに注目していたが、これまで暗示的に表現されていたものが具体化され、新たな次元へと踏み出していて、素晴しい。

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