アキ・カウリスマキ 『ル・アーヴルの靴みがき』 レビュー

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最も人に近いところにある職業に見るカウリスマキ監督の神学

アキ・カウリスマキの新作『ル・アーヴルの靴みがき』の舞台はフランスの港町ル・アーヴル。靴みがきを生業とするマルセル・マルクスは、献身的な妻アルレッティと愛犬ライカとつましく暮らしている。

そんなある日、病に倒れて入院したアルレッティと入れ替わるように、アフリカからの難民の少年イドリッサが家に転がり込んでくる。マルクスは少年を母親がいるロンドンに送り出すために奔走するが、その頃、アルレッティは医師から不治の病を宣告されていた。

この新作はカウリスマキにとって『ラヴィ・ド・ボエーム』(91)以来のフランス語映画になり、マルクスも再登場するが、単なる後日譚にとどまらない。新作以前に作られた『浮き雲』(96)、『過去のない男』(02)、『街のあかり』(06)の三部作では、深刻な経済危機から、痛みをともなう改革、グローバリゼーションの波に乗る繁栄へと変化するフィンランド社会が背景になっていたが、そんな社会的な視点の延長として難民問題を取り上げているだけの作品でもない。

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今週末公開オススメ映画リスト2012/05/10

週刊オススメ映画リスト

今回は『ロボット』『ムサン日記~白い犬』『さあ帰ろう、ベダルをこいで』『キラー・エリート』(順不同)の4本です。

『ロボット』 シャンカール

ド派手で奇想天外で突っ込みどころが満載のVFXシーンも確かにインパクトがあるが、個人的にいちばん強烈だったのは“スーパー・スター” ラジニカーントのバイタリティだ。

90年代末に、ラジニ主演の『ヤジャマン 踊るマハラジャ2』(93)や『アルナーチャラム 踊るスーパースター』(97)などを取り上げた「インド映画のなかのタミル語映画」という原稿を書いたことを思い出した。

そのなかで、1949年生まれのラジニはもう決して若くはなく、地元では彼の後継者は誰かという話題も出るが、それでも彼の地位はなかなか揺るぎそうにないという現状を出発点に、根強い人気の背景についていろいろ書いている。

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ステファン・コマンダレフ 『さあ帰ろう、ペダルをこいで』 レビュー

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見えない世界と繋がるサイコロを振るとき新たな人生が始まる

ステファン・コマンダレフ監督の『さあ帰ろう、ペダルをこいで』(08)については、試写を観るだいぶ前から、ステファン・ヴァルドブレフが手がけたサントラを聴いていた。

ブルガリアを代表するクラリネット奏者で、バルカンの伝統やジャズを取り込んだ独自のジャンル(“ウェディング・バンド”ミュージック)を確立したIvo Papazovが参加していたこともあるが、さらにもうひとり、興味をそそられるミュージシャンが参加していた。

カメン・カレフ監督の『ソフィアの夜明け』の音楽と劇中のパフォーマンスで大きな注目を集めるようになったソフィア出身のバンド“Nasekomix”。このバンドでヴォーカル、アコーディオン、キーボードなどを担当するAndronia Popovaが1曲だけ参加し、ラテン・ナンバーを歌っている。そのことについては、ブログで彼らのデビューアルバム『Adam’s Bushes Eva’s Deep』を取り上げたときに書いた。

これはお気に入りのサントラなので、それを聴きながらテキストを読んでいただければと思う。

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今週末公開オススメ映画リスト2012/04/26

週刊オススメ映画リスト

今回は、『ル・アーヴルの靴みがき』『孤島の王』『ジョイフル♪ノイズ』の3本です。

『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ

『街のあかり』(06)以来、5年ぶりの新作。『ル・アーブルの靴みがき』試写室日記の方にいろいろ感想を書きましたので、まずはそちらをお読みください。

現在発売中の「CDジャーナル」2012年5月号に、「カウリスマキの神学」というタイトルで本作品のレビューを書いておりますので、ぜひお読みください。

試写室日記では、この新作でカウリスマキが新たな次元に踏み出していて、そこには昨年末に公開されたレイ・マイェフスキの『ブリューゲルの動く絵』(11)に通じる視点があるといったことを書きました。いったいどう繋がるのか首を傾げた方もいらっしゃるかもしれませんが、はったりをかましたわけではありません。「CDジャーナル」のレビューでは、『ブリューゲルの動く絵』も引用し、繋がりを明らかにしております。

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ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『灼熱の魂』 レビュー



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物語の力――
偶然と必然の鮮やかな反転

カナダ・ケベック州出身の異才ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品が日本で公開されるのは、『灼熱の魂』が二本目になる。最初に公開されたのは『渦』(00)という作品だった。その『渦』のヒロインであるビビアンは、大女優の娘で、25歳にしてブティックのチェーンを経営し、マスコミの注目を集めている。

彼女の人生は傍目には順風満帆に見えるが、実際には経営に行き詰っているうえに、中絶手術を受けたばかりで精神的に不安定になっている。そんな彼女は、深夜に帰宅する途中で轢き逃げをしてしまい、被害者が死亡したことを知って、罪悪感に苛まれる。

この映画では、場所も時代も定かではない空間のなかで、いままさに切れ味鋭い刃物で命を奪われようとしている醜い魚が、このヒロインの物語の語り部となる。ヒロインの世界には、水や死のイメージがちりばめられ、独特の空気を醸し出していく。

しかし、それ以上に印象に残るのが、「偶然」と「必然」の関係だ。苦悩するヒロインは自分の運命を偶然に委ねようとする。人気のない地下鉄のホームで、たまたま隣に座った男に誰も知らない真実を告白し、自首するかどうかを決めようとする。車ごと貯水池に飛び込み、自らの生死を水に委ねようとする。

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