『裏切りのサーカス』 『ファウスト』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。まったく異なる意味でどちらも重量級といえる作品で、非常に見応えがあった。

『裏切りのサーカス』 トーマス・アルフレッドソン

スパイ小説の大御所ジョン・ル・カレが74年に発表した『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の映画化。東西冷戦がつづく1970年代前半、英国諜報部<サーカス>上層部に潜むソ連の二重スパイ“もぐら”の正体をめぐって、<サーカス>と<KGB>の熾烈な情報戦が繰り広げられる。

本物のスパイは、銃撃戦やカーチェイスなどを繰り広げたりせず、人ごみに紛れ、物影にひそみ、緊張や孤独に耐え、静かに神経をすり減らしていく。「007」のように、舞台や人物がエキゾティシズムを漂わせることもない。

“もぐら”の正体を暴くという極秘任務を託されたジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマンの抑えた演技が実に渋い)を中心に、登場人物たちが複雑に入り組むため、公式サイトに「必読」のコーナーが準備され、鑑賞前に最低限の設定を頭に入れていくことを勧めている。


確かに、かなり集中力を必要とする作品だが、なにを見ようとするかによってわかりやすさも変わってくる。この映画の場合は、ストーリーの流れや構成が把握できればそれでいいというものでもない。それだけでは作品に深く入れない。

この映画は決してパズルではなく、生身の人間としてのスパイを掘り下げ、彼らの関係を見つめていく。人間であればどこかに弱みがあり、それをポイントにした機微に触れることができれば、張り巡らされた様々な糸が見えてくる。

監督はスウェーデン出身で、『ぼくのエリ 200歳の少女』で注目されたトーマス・アルフレッドソン。『ぼくのエリ 200歳の少女』には、ブレジネフ書記長にまつわるニュースが流れる場面があり、映画に漂う沈鬱な空気は冷戦とも無関係ではなかった。『裏切りのサーカス』では、そんな冷戦時代の空気の表現がさらに際立ち、独特の陰影を生み出している。

『ファウスト』 アレクサンドル・ソクーロフ

文豪ゲーテの『ファウスト』の映画化で、ヴェネチア国際映画祭グランプリ<金獅子賞>に輝いた作品。ただし、映画の冒頭に『ファウスト』をもとに自由に創作したという断りがあるように、忠実な映画化ではない。

ソクーロフの近作といえば、昭和天皇を題材にした『太陽』(2005)や『チェチェンへ アレクサンドラの旅』(2007)になるが、それらとはまったくスタイルが違う。

この『ファウスト』のスタイルは、ソクーロフが1989年に撮った『ボヴァリー夫人』を2009年に再編集して甦らせたことと無関係ではないように思える。『ファウスト』を題材に映画を作ることは80年代から構想していたということだが、『ボヴァリー夫人』に立ち返ることで、方向が明確になったのではないか。

映画『ファウスト』では、悪魔メフィストフェレスが高利貸のマウリツィウスに変えられているが、この高利貸の存在は、『ボヴァリー夫人』に登場する雑貨屋のルウルーや薬剤師のオメーに繋がっているように感じる。

いずれにしても、この映画のスタイルは、古いとか新しいという時代の基準にまったく縛られない。私たちは、いつの間にかよどみなくなく流れる独自の映像言語に引き込まれ、気づいてみれば原作との比較が意味を失うようなソクーロフの宇宙を彷徨っている。

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