『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』 想田和弘

Reading

瞬間と向き合い観察すること、瞬間を受け入れて生きること

想田和弘監督の前の著書『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』では、観察映画第2弾となる『精神』(2008)誕生の背景や作品に対する様々な反応が綴られていた。新しい著書『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』では、現在公開中の観察映画最新作『Peace』(2010)の製作過程を振り返りつつ、「ドキュメンタリーとは何か」というテーマが掘り下げられていく。

しかし、本書のなかでその問いに対する答えが出るわけではない。たとえば、テレビのドキュメンタリーの現場で想田監督が体験したことやフレデリック・ワイズマンの影響についての記述からは、「観察映画」という独自の発想とスタイルが形成される背景が見えてくる。だが、それは答えではない。本書は、答えが見えないからこそ、『Peace』のような作品が生まれるのだということを巧みに物語っている。

続きを読む

『哲学者とオオカミ――愛・死・幸福についてのレッスン』 マーク・ローランズ

Reading

オオカミという他者を通して人間とは何なのかを考察する

想田和弘監督の『Peace ピース』(7月16日公開予定)の試写を観たときに最初に思い出したのがこの本のことだった。そこでぱらぱらと読み返してみた。

最初に読んだときも引き込まれたが、今では著者の言葉がもっと身近に感じられる。それは、『ブンミおじさんの森』、『アンチクライスト』、『四つのいのち』、『4月の涙』(野生のオオカミが出てくる場面がある)、『蜂蜜』、『エッセンシャル・キリング』といった作品を通して、人間と動物の関係に以前よりも鋭敏になっているからだろう。

マーク・ローランズはウェールズ生まれの哲学者で、本書では、ブレニンという名のオオカミと10年以上に渡っていっしょに暮らした経験を通して、ブレニンについて語るだけではなく、人間であることが何を意味するのかについても語っている。

↓ この人がローランズだが、いっしょにいるのはもちろんブレニンではない。ブレニンは、各地の大学で教えるローランズとともに合衆国、アイルランド、イングランド、フランスと渡り歩き、フランスで死んだ。ローランズはその後マイアミに移り、この映像はそこで撮影したものだ。

続きを読む

『祝祭性と狂気 故郷なき郷愁のゆくえ』 渡辺哲夫



Reading

現代精神医学という封印を解く

本書については、ラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』のレビューのなかで、長めに紹介、引用しているので、そちらを先に読んでいただければと思う。

また取り上げるのは、『アンチクライスト』だけではなく、トルコのセミフ・カプランオール監督のユスフ三部作(『卵』、『ミルク』、『蜂蜜』)を観るうえでも、参考になるからだ。

ユスフ三部作では、ユスフという主人公の成長過程を追うのではなく、壮年期から青年期、幼少期へと遡っていく。そんな三部作の共通点として見逃せないのが、登場人物が発作を起こして倒れる場面が盛り込まれていることだ。それらは癲癇の発作のように見える。

●第一作『卵』
2:00を過ぎたあたりにその場面が出てくる。

続きを読む

『多言語国家スペインの社会動態を読み解く』 竹中克行



Reading

映画『BIUTIFUL ビューティフル』の背景に関心がある人に

一昨年だったと思うが、近所の図書館の新刊コーナーに並んでいるのを見かけて読んだ本。

内容はこんな感じ。「スペイン各地の言語や文化を背負って移動する人々の役割に注目しながら、地域間に存在する格差が人口移動を媒介としてホスト社会の中に織り込まれ、新たな格差の構造となって立ち現れるプロセスを解き明かすこと、それが本書の中核をなす目標である」(「はしがき」より引用)

続きを読む