想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』:虚構とリアル―人間はなぜ演じるのか その二



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想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』 その一からのつづき)

演技する平田オリザ

要するにこの映画では、観察する立場にあるのは想田監督だけではない。平田オリザもまた観察することでリアルを生み出している。

平田さんも観察者だと思うんです。たぶん一から台詞を考えるのではなく、普段の生活で見たことを記憶していて、膨大なデータベースが頭のなかにあるんだと思います。そこからいろいろ引き出して台本を構築する。演出するときにも俳優の動きなり、喋り方なりを観察することによって、台本をアジャストしていくわけですね。そういう意味では、この映画には『観察者を観察する』みたいな入れ子構造がある(笑)。それから平田さん自身もものすごく演技をされていると思うんですよ。とにかくカメラの無視の仕方が尋常じゃない。普通の人は『カメラを無視する』と言っても、ときどき僕のことをチラッと見たり話しかけたりするものなんですが、それもない。あそこまで無視するというのはやっぱり不自然なんです(笑)。でも振る舞いは演技に思えないくらい自然なんです。だから『僕はいまなにを撮っているんだろう?』と考え込んでしまった。つまりドキュメンタリーのカメラは何を映すのか、という難問にぶち当たった

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想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』:虚構とリアル―人間はなぜ演じるのか その一



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平田オリザ作品の方法論

“観察映画”で注目を集める想田和弘監督の最新作『演劇1』『演劇2』の題材は、日本の演劇界で異彩を放つ平田オリザと彼が主催する劇団・青年団だ。これまでの観察映画を振り返ってみると、第1弾『選挙』の主人公、「山さん」こと山内和彦が想田監督の大学時代のクラスメートで、第2弾『精神』の舞台「こらーる岡山」が、NPOを運営する想田監督の義母と関わりのある精神科診療所だったように、その題材にはニューヨーク在住の想田監督と個人的な繋がりがあった。では、平田作品とはどのように出会い、どんな関心を持っていたのだろうか。

2000年にニューヨークで『東京ノート』を観たのが最初です。その時は不勉強で平田オリザさんの名前ぐらいしか知らなかったんですが、大袈裟な演技とか翻訳口調の台詞など、僕が敬遠気味のいわゆる演劇臭さみたいなものが一掃されていることに作り手の強い意志を感じました。僕がまだ駆け出しのテレビ・ディレクターで、ドキュメンタリーの難しさに直面している時期でした。目の前の現実にカメラを向けた途端に、なにかよそよそしいものになってしまう。ドキュメンタリーですら『リアル』をとらえるのが難しいのに、それを舞台上でやってのけてしまうことに途轍もないものを感じたんですね。それで、06年に別の作品で来られたときにも拝見したんですが、鳥肌が立ちました。『これは絶対に確固たる方法論があるはずだ』と直観し、平田さんの本を読み漁ると、やっぱりそう。ちょうど僕自身、『選挙』の編集中で、観察映画という方法論を自分なりに編み出そうとしていた時期だったので、なんかもうビンビンに響いてきたんです

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『演劇1』 『演劇2』 (観察映画 第3弾・第4弾) 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『演劇1』『演劇2』 想田和弘

“観察映画”という独自の発想とスタイルでドキュメンタリーに新風を吹き込み、注目を集めている想田和弘監督の待望の新作。題材は、平田オリザと青年団。今回はなんと1本ではなく2部作(しかも上映時間がそれぞれ2時間52分と2時間50分)として完成。

想田監督はこれまでに『選挙』『精神』『Peace』という3本の観察映画を発表しているが、『Peace』が観察映画番外編という位置づけだったので、今回の2部作が第3弾と第4弾ということになる。

この新作にはこれまでの作品とは異なる点がいくつかあるが、ここではそのひとつに触れておこう。観察映画では、想田監督は撮影をする前にリサーチをしない。先入観に縛られることなく、まずは観察に徹し、テーマのようなものは後から見えてくることになる。たとえば『精神』のレビューを読んでいただければ、そこらへんのところがよくわかると思う。

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想田和弘 『Peace』 レビュー



Review

瞬間の中に大切なものが見える

想田和弘監督の『Peace ピース』(10)は、『選挙』(07)、『精神』(08)につづく〝観察映画〟の最新作だが、その冒頭には「第3弾」ではなく「番外編」の文字が浮かび上がる。

この作品の出発点は、想田監督が韓国・非武装地帯ドキュメンタリー映画際から「平和と共存」をテーマにした短編を依頼されたことだった。想田監督の独自のアプローチである観察映画では、あらかじめテーマを決めることなく、先入観を排除して被写体にカメラを向ける。テーマは撮影や編集を通して後から見えてくるものなのだ。

だから彼は依頼を断るつもりだったが、岡山にある妻の実家に帰って、義父が世話する野良猫たちを目にして気が変わった。そして、短編の予定だった映画はいつしか75分の長編になっていた。

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『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』 想田和弘

Reading

瞬間と向き合い観察すること、瞬間を受け入れて生きること

想田和弘監督の前の著書『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』では、観察映画第2弾となる『精神』(2008)誕生の背景や作品に対する様々な反応が綴られていた。新しい著書『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』では、現在公開中の観察映画最新作『Peace』(2010)の製作過程を振り返りつつ、「ドキュメンタリーとは何か」というテーマが掘り下げられていく。

しかし、本書のなかでその問いに対する答えが出るわけではない。たとえば、テレビのドキュメンタリーの現場で想田監督が体験したことやフレデリック・ワイズマンの影響についての記述からは、「観察映画」という独自の発想とスタイルが形成される背景が見えてくる。だが、それは答えではない。本書は、答えが見えないからこそ、『Peace』のような作品が生まれるのだということを巧みに物語っている。

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