ロバート・ケナー 『フード・インク』レビュー

Review

食品を通してわたしたちを支配する見えないシステムの脅威

ロバート・ケナー監督のドキュメンタリー『フード・インク』では、工業化された農業、多国籍企業による食品の支配、利益だけを追求する徹底した合理化が生み出す脱人間化といったテーマが掘り下げられていく。

この映画のプロデューサーで、中心的なガイド役を務めているのは、『ファストフードが世界を食いつくす』(楡井浩一訳/草思社/2001年)の著者でジャーナリストのエリック・シュローサーだ。ケナー監督はプレスに収められたインタビューで、この映画の企画について以下のように語っている。

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1月22日(土)よりシアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー! (C)Participant Media

「私とエリックは長らく、彼の書いた本『ファストフードが世界を食いつくす』のドキュメンタリー版を製作しようと思っていたんだ。しかし、それは実現しなかった」

「エリックと私がこの企画を考え出したのが、6、7年前だったかな。撮影自体には2年半かかっている。想像以上の歳月を費やしたよ。ほとんどの場所で撮影許可を得ることが難しかったからね」

そこで思い出されるのは、『ファストフードが世界を食いつくす』をベースにしたリチャード・リンクレイター監督の『ファストフード・ネイション』(06)のことだ。順番からいえば、ケナーとシュローサーがこのノンフィクションのドキュメンタリー版を断念してから、リンクレイターによる映画化が実現したことになる。

しかし、『ファストフード・ネイション』は微妙な作品だった。確かに、食肉加工工場が効率だけを優先して作業ラインの速度を上げるために、作業の精度が低下し、食肉に内臓や糞尿とともに細菌が混入する可能性や、メキシコからの不法移民が弱みに付けこまれ、低賃金で危険で過酷な労働を強要され、使い捨てにされている実態など、ノンフィクションの内容が盛り込まれてはいた。

問題は、リンクレイターとシュローサー自身が脚本を手がけ、ノンフィクションが劇映画として再構築されていたことだ。合理化や脱人間化を押し進める集約的なフード・システムにとって人間は顔のない駒に過ぎない。それを、それぞれに顔を持った個人である登場人物を通して描こうとすると、無理が生じ、焦点がぼやけてしまう。

やはり望ましいのは、劇映画化ではなくドキュメンタリー化だろう。先ほど引用したケナー監督の発言は、彼とシュローサーがドキュメンタリー化を断念し、別の作品として『フード・インク』を作ったような印象を与える。だがこの映画では、『ファストフードが世界を食いつくす』の第6章「専属契約が破壊したもの」、第7章「巨大な機械の歯車」、第8章「最も危険な職業」、第9章「肉の中身」あたりがドキュメンタリー化されている。

そんな『フード・インク』を観てまず感じることは、ドキュメンタリー版を作ることの難しさだ。それは、引用したケナー監督の言葉にも表われている。撮影許可が得られなければなかなか映画にはならない。『ファストフード・ネイション』を劇映画にしなければならなかった事情ももしかするとそこらへんにあるのかもしれない。

『フード・インク』はいくつかのテーマで構成されているが、まず冒頭の「すべての食品はファストフードに」に注目してみよう。その内容は、『ファストフードが世界を食いつくす』の第6章に沿っている。たとえば、マックナゲット用の契約を獲得したことで、世界最大の鶏肉加工業者になったタイソンフーズにまつわるエピソードだ。シュローサーは本で以下のように記述している。少し長いが参考になると思う。

「タイソンと契約した養鶏業者は、鶏舎こそ自前だが、中で飼っている鶏は自分の所有物ではない。大手加工業者の例にもれず、タイソンも、契約業者に一日齢の雛を送り届ける。孵化したその日から屠られる日まで、鶏は一生を養鶏業者の敷地内で過ごす。それでも、所有しているのはタイソンだ。タイソンが飼料を提供し、獣医を派遣し、技術上のサポートを提供する。給餌日程を決め、設備の更新を求め、“家畜指導官”を雇って、会社の指示がきちんと実行されているかどうか確認させる。タイソンの派遣したトラックがやってきて積み荷の雛を降ろし、七週間後にふたたびやってきて、解体を待つばかりの若鶏を運び去る。加工工場に着くと、タイソンが鶏の羽数を数えて体重を量る。養鶏業者の収入は、ここで勘定される羽数と体重、消費飼料費をもとに、一定の計算式に従って算定される」

「養鶏業者が提供するのは、土地と、労働力と、鶏舎と、あとは燃料だ。大半は借金を負い、一棟あたり約一五万ドルを投じて鶏舎を建て、二万五〇〇〇羽程度を飼育している。ルイジアナ工業大学が一九九五年に行った調査によると、養鶏業者は平均して一五年間にわたって養鶏業を営み、鶏舎を三棟建てて、なおかなりの負債を抱え、年収が一万二〇〇〇ドル程度だった。国内の養鶏業者の約半数は、わずか三年で廃業し、いっさいを売り払うか、失うかしている。アーカンソーの地方の田舎道を行くと、取り残された鶏舎の廃屋がそこここに散らばっている」

『フード・インク』には、タイソン社と契約している南部の養鶏業者が登場する。彼は、光を遮断された鶏舎の薄暗がりで飼育される鶏をクルーに見せようとする。だがタイソンの代理人が待ったをかけ、カメラが鶏舎に入ることは叶わない。タイソン社自体も取材を拒否する。そこでクルーは鶏舎の中身を見せてくれる農家を訪ね歩くことになる。やっとのことで、別の企業と契約し、同じ方法で鶏を育てている農家が見つかり、私たちは50年前の半分の日数で育つ、異様に大きな胸を持った鶏を目の当たりにする。そのなかには、骨や内臓が急激な成長に耐えられずに動けなくなったり、死んでしまう鶏がいる。

では、食肉処理場の場合はどうか。シュローサーの本の第8章は、このように始まる。

「ある晩、わたしはハイプレーンズのある食肉処理場を訪ねた。国内最大級の規模を持つ処理場だ。毎日、約五〇〇〇頭の牛が一列になって入っていき、別の姿になって出てくる。この工場に関係を持つある人物が、従業員の労働環境に胸を痛め、わたしの案内役を買って出てくれた。(中略)友人はわたしに、鉄の鎖でできた前掛けと手袋を差し出し、着用するように言った。ライン沿いで作業する従業員は白衣の下に三キロ半ほどの鎖帷子を着けている。光沢を放つ鋼鉄製で、両手、手首、腹部、背中を覆う。刃物を扱う作業員が自分の身を切りつけないよう、そして同僚に切りつけられないよう考案された保護具だ。しかし、ナイフの刃はどうかすると、鎖を突き破る。案内人は次に、ウェリントンブーツを差し出した。英国紳士が田舎で履く、膝頭まで隠れるゴム長だ。「ズボンのすそをブーツの中にたくし込んで」彼は言った。「血だまりの中を歩くから」」

シュローサーは友人の協力によって処理場を見学することができたが、もちろんカメラが入ることは容易ではない。『フード・インク』では、1日に3万2000頭を加工するという巨大な処理場に隠しカメラを使って入り、撮影を行っている。そこではメキシコからの不法移民が、速度を上げた作業ラインで“生きた機械”として働いている。こうした集約化は効率的ではあるが、細菌が混入した場合、その被害が多方面に広がる危険性はより大きくなる。

ではなぜ移民たちは危険で過酷な労働を余儀なくされるのか。映画では、NAFTA(北米自由貿易協定)によって、米国産コーンがメキシコの市場にあふれ(このコーンについて後に触れる)、150万人以上の農民が失職したからだと説明している。だが、メキシコ国内の事情も関わっているように思える。

筆者は、『ボーダータウン 報道されない殺人者』のプロモーションで来日したグレゴリー・ナヴァ監督にインタビューしたときのことを思い出した。メキシコで保護主義から自由市場への転換が決定的になったのは、サリナス政権の時代(1988~1994年)だが、ナヴァ監督は以下のように語っていた(グレゴリー・ナヴァ・インタビュー)。

「メキシコ革命の英雄サパタは、農民に土地を分配することを提唱し、そこからエヒードという農民の共有農地が生まれた。エヒードを売買することは法律で禁じられていた。ところが、サリナス大統領は、法律を変え、売買や課税ができるようにした。それは実態としては、農民から土地を取り上げることに等しかった。この映画のなかでエバは、家族が土地を失ったと語る。それは実際に起こったことなんだ。たくさんの農民が、税金が払えないために土地を失い、フアレスのような街で働かされる。サリナスは、NAFTAを締結したことだけでなく、土地に関する法律を変えたことでもよく知られている。低賃金の労働力は、そんな背景から生まれたんだ」

また一方には、安価なファストフードを消費することを余儀なくされる低所得者の人々が存在する。この映画に登場するヒスパニックの家族は、ファストフードが身体によくないと知っていながらそれを食べるしかない。ファストフードは野菜よりも安い。仕事に追われる彼らは、買い物をしたり、料理をする時間がない。父親はすでに糖尿病で、いつ仕事ができなくなるかわからない。糖尿病は子供にも流行しつつあり、マイノリティの二人に一人はその予備軍だという。

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そして、食中毒の危険もある。『ファストフードが世界を食いつくす』の第8章「肉の中身」には以下の記述がある。

「アメリカでは毎日、約二〇万人が食品由来の病気にかかり、うち九〇〇人が入院し、一四人が死亡している」

大腸菌O-157の合併症に最も苦しめられるのは子供だ。本書では、食品安全を訴える組織「安全な食卓が第一」(STOP)の会長ナンシー・ドンリーの家族に起こった悲劇が取り上げられていた。彼女の息子アレックスは、6歳だった93年7月に汚染ハンバーガーを食べてこの病原菌に感染し、苦しみながら亡くなった。ベロ毒素が次々に内臓を破壊し、脳の一部が液化していたという。

この一家のような悲劇はその後も起こっている。『フード・インク』では、“食の安全”の提唱者であるバーバラ・コワルチクという女性が登場し、彼女の家族に起こった悲劇を語っている。6年前の2001年7月、彼女の2歳半の息子ケヴィンは、家族旅行でハンバーガーを食べ、O-157に感染し、苦しみながら亡くなった。彼女はいま、農務省に工場を操業停止にする権限を与える“ケヴィン法”を議会で成立させるために活動しているが、こうした権限がないこと自体、異常な事態だといえる。

しかし、この映画に盛りこまれているのは、『ファストフードが世界を食いつくす』の視点だけではない。ジャーナリスト/活動家のマイケル・ポーランもガイド役で登場し、彼のベストセラー『雑食動物のジレンマ』の視点を取り上げている。

彼は食べ物の源をたどり、その実態を明らかにしていく。そこからはコーンと草のコントラストが見えてくる。コーンは政府の援助を受け、実際のコストより安く生産できる。安価なコーンを大量に求める企業が議会に大金をばらまいているからだという。そのコーンは様々な食品の原材料になり、多くは遺伝子組み換えによる品種だが、ラベル表示の義務はない。コーンは家畜の飼料にも使われるが、そのせいで大腸菌が耐酸性を持ち、O-157が広がる要因になる。飼育場では、家畜は一日中、糞尿のなかに立っている。

その一方でスポットがあてられるのが、ポリフェイス農場だ。そこでは、草がすべての基本になり、肥やしも自然に循環する持続可能な有機農法が実践されている。

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ちなみに、コーンを与えられている牛に、コーンの代わりに5日間牧草を与えれば大腸菌の8割が死滅するのだという。しかし、農業の工業化を進める経営者は、そういう方法ではなく、アンモニアなどで肉を消毒して、問題を解決しようとする。

この映画の最後には、「システムを変えるチャンスは1日に3回ある」というメッセージとともに、その方法が並べられている。確かにシステムは巨大ではあるが、誰でも食べずには生きられないのだから、チャンスはとんでもなく身近なところに転がっていることになる。

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