アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 『BIUTIFUL』 レビュー

Review

複数の境界が交差する場所に立つ男、その孤独な魂の震え

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの新作『BIUTIFUL』は、表現や構成がこれまでの監督作とは違う。複数の物語を断片化し、再構築するようなスタイルは見られない(『アモーレス・ペロス』『21グラム』、イニャリトゥとコンビを組んでいたギジェルモ・アリアガ『あの日、欲望の大地で』のレビューをお読みいただければ、筆者がこれまでの彼のスタイルに好感を持っていなかったことがおわかりいただけるだろう)。

主人公はスペインの大都市バルセロナの底辺で生きる男ウスバル。妻と別れ、男手ひとつで二人の子供を育てている彼がある日、末期がんで余命2ヶ月と宣告される。


この映画では、そんなありがちなストーリーとは異なる次元で深遠な世界が切り拓かれていく。見逃せないのは、ウスバルが様々な意味で“境界”に立たされ、それゆえに自己をコントロールできなくなっていくところだ。なかでもバルセロナと移民をめぐる境界には、イニャリトゥの鋭い視点を感じる。

バルセロナを中心とするカタルーニャの人口は、1900年には197万人に過ぎなかったが、1991年には616万人に膨らんでいた。この映画には、中国やアフリカ、東欧などから来た多くの移民が登場するが、実は外国人が流入するようになるのは90年代以降のことで、それ以前の流入者はスペインの他の地域から移住した人々だった。

しかも、活発な人口流入は、20年代と60年代という独裁体制下で発生していた。60年代にフランコ独裁政権は、カタルーニャの地方制度を廃止し、カタルーニャ語を禁じ、そこに国家語のカスティーリャ語を話す人々が流入していった。しかし78年の民主化以降、自治権が確立され、カタルーニャ語も復活した。

では、この映画の主人公はどんな立場にあるのか。ウスバルはカスティーリャ語を話す移民の子として生まれた。カタルーニャのなかの異邦人であるため、後続の外国人移民の境遇が理解できる。だから彼らに思いやりを示すが、もう一方では自分と家族が生きていくために搾取することも余儀なくされる。

そこにさらに他の境界がからむ。死者の声を聞く霊媒師でもある彼は、生者と死者の境界に立ち、悔いを残して亡くなった者の思いがわかるからこそ追いつめられる。かつて父親がフランコの圧政を逃れて海外に逃亡したため、彼には父親の記憶がなく、これから父親を失う子供たちの痛みがわかる。

イニャリトゥはそんな境界を通して、苦悩する主人公の内面を掘り下げ、孤独な魂の震えを描き出そうとするのだ。

《参照・引用文献》
●『多言語国家スペインの社会動態を読み解く』竹中克行(ミネルヴァ書房、2009年)

(初出:「CDジャーナル」2011年7月号)

●amazon.co.jpへ