ロジャー・ドナルドソン 『ハングリー・ラビット』 レビュー

Review

パズルのように組み合わされた現実と虚構のニューオリンズ

ロジャー・ドナルドソン監督の『ハングリー・ラビット』では、主人公の高校教師ウィルが、ある組織と関わりを持ったことから悪夢のような状況に引きずり込まれていく。その秘密組織は、法の裁きを逃れた犯罪者たちに、“代理殺人”というかたちで厳しい制裁を加える。映画では組織の全貌が具体的に明らかにされることはないが、より重要なのは組織と舞台の関係だ。

ウィルと妻のローラがマルディグラを楽しむ場面から始まり、ハリケーン・カトリーナの襲来によって廃墟と化したショッピングモールがクライマックスの背景となるように、この映画ではニューオリンズという舞台が印象的に描かれている。しかも単なる背景にとどまらず、この街の現実が物語と絡み合ってもいる。


映画の後半でウィルは正体の見えない敵に対して反撃に転じるが、その敵とは必ずしも組織そのものではない。組織の方針では、私刑の対象は、強姦者や殺人者、子供相手の変質者だったが、組織の支部長サイモンは勝手に対象を広げ、暴走を始めた。ウィルはそんな暴走に巻き込まれ、殺人の罪まで着せられることになる。ではなぜサイモンは暴走したのか。この人物についてはその背景が描かれるわけではないので、はっきりとはわからない。しかし、そんな暴走が起こっても不思議はない場所はどこかという問いであれば、答えることができそうだ。

筆者はこの映画を観ながら、ふたつのことを思い出していた。ひとつは、ルーマニア生まれのアメリカ人で、作家、詩人、エッセイストとして活動するアンドレイ・コドレスクの著書『Hail Babylon!』(98)に描かれたニューオリンズのことだ。世紀末を背景にアメリカの様々な都市を展望する本書では、90年代半ばのニューオリンズが多面的に掘り下げられている。

現代を背景にしていると思われるこの映画に対して、90年代半ばの話題は少し古いと思われるかもしれないが、決して無関係ではない。なぜなら、映画の後半である登場人物が、15年前に自分の弟を殺害されたときに組織に加わったと告白しているからだ。この組織の活動は、新しい現象というわけではなく、少なくとも90年代から続いている設定になっている。だとすれば、当時の現実を頭に入れておくことも無駄ではないだろう。

コドレスクによれば、1994年にニューオリンズは、425件の殺人でアメリカの殺人首都になったという。しかしもうひとつ、無視できない事実がある。同じ年に、レイプから殺人まで、警官が起こした事件が40件もあったというのだ。

そして、翌95年には、アントワネット・フランクという女性警官が、ニューオリンズの歴史に残る事件を起こす。夜間にレストランの警備員をやっていた彼女は、同じ副業をしている同僚と交替した1時間後に強盗目的で店に戻り、同僚とそこに居た経営者のふたりの子供たちを射殺した。その後、警察署に戻った彼女は、事件の通報に応えて何食わぬ顔でパトカーに乗って現場に現れた。しかし、事件が起こったときに、経営者の他の子供が冷蔵庫の陰に隠れていて、すべてを目撃していたため、真相が明らかになった。結局、彼女はルイジアナ州で女性として40年ぶりに死刑を宣告されることになった。

では、現代のニューオリンズはどうか。それが、筆者が思い出したもうひとつのことだ。2005年にハリケーン・カトリーナが襲来した後、混乱に陥ったニューオリンズで警官がふたつの事件を起こした。ひとつは、31歳の男性が警官に撃たれ、車に放置されて死亡し、別の警官がその車を人気のない土手に運び、事実を隠蔽するために遺体を燃やしたとされる事件。もうひとつは、ダンジガー橋で洪水から避難しようとしていた市民が、警官たちに撃たれ、2人が死亡し、4人が重軽傷を負った事件。こちらも警官たちが事件の隠蔽をはかったとされている。このふたつの事件は、衝撃があまりにも大きかったうえに、裁判が行われたのが1、2年前と記憶に新しく、いまだに尾を引いている。警察が信用を回復するのは容易ではない。

この映画はあくまでフィクションだが、そんなニューオリンズの現実を踏まえてみると、リアリティが増してくるのではないだろうか。たとえば、映画の冒頭で殺害されるボーデットという男は、記者が取材で記録した映像のなかで、「町が腐っていくのがいやで組織に入った、安心して暮らせる町にしたかった、家族のために」と語っている。警察が信頼できなければ、自警団的な組織に期待する人が出てきても不思議はないだろう。

この映画の原題である“Seeking Justice”も現実と無関係ではない。正義を探すということは、本来そこにあるはずの正義がないことを意味する。だからこそ、自分こそが正義であり、それを行動で示していると信じ込むサイモンの暴走を許してしまう。逆に、本来なら警察に助けを求めているはずのウィルのような人間は、孤立無援の闘いを強いられることになるわけだ。

さらに、テレビのニュース映像の使い方にも注目すべきだろう。この映画の導入部では、ボーデットが死亡した事件を伝える映像が、ラストでは、ショッピングモールで4人が射殺された事件を伝える映像が挿入され、どちらの場合もダーガン警部補がレポーターの質問に対して、ニューオリンズ市警は真相究明に全力を尽くすというようなコメントをする。

私たちのなかで、導入部からラストまでの間にこの警部補の存在はまったく違ったものになっているが、呼応するニュース映像の効果はそれだけではないだろう。正義を守る立場にありながら、市民を裏切り、隠蔽までしようとした現実の警察と、正義を掲げて暴走を繰り広げる秘密組織がどこかダブって見えてくるところに、皮肉が込められているように思えるのだ。

《参照/引用文献》
●『Hail Babylon! : In Search of the American City at the End of the Millennium』 Andrei Codrescu (St. Martin’s Press, 1998)

(初出:『ハングリー・ラビット』劇場用パンフレット)