クリント・イーストウッド 『ヒア アフター』 レビュー



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Review

喪失の痛みと孤独を抱えた人々が“媒介者”になるとき…

監督クリント・イーストウッドは、これまで様々な設定で生者と死者の関係を掘り下げてきたが、『グラン・トリノ』(08)でそのアプローチが変化した。以前のように死者と向き合い、死者の声に耳を傾けることで生を見つめなおすだけではなく、生と死の境界まで踏み出し、死者の声を生者にどう届けるのかを問題にするようになった。

『グラン・トリノ』に続く『インビクタス 負けざる者たち』(09)でも、ネルソン・マンデラは大統領であるだけでなく、生者と死者を繋ぐ“媒介者”でもあった。

新作『ヒア アフター』(10)の世界や物語は、そんな流れを踏まえてみるとより興味深く思えてくるはずだ。

パリに住むニュースキャスターのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、休暇で訪れた東南アジアで津波にのまれて臨死体験をし、その時に見たビジョンが頭から離れなくなる。

ロンドンに住む少年マーカスは、双子の兄を事故で亡くした悲しみから立ち直ることができない。サンフランシスコに住むジョージ(マット・デイモン)は、自分の霊能力を呪いとみなし、何とか死者の声から逃れようとする。

やがて見えない糸に引かれるようにそんな3者の人生が交差していく。

この映画では、死者の声を求めることと届けることの孤独と痛みが描き出される。マーカス少年は、もう一度兄と話すために次々と霊能者を訪ね歩くが、みな偽物であることがわかる。相手に触れるだけで秘密が見えてしまうジョージは、人と自然に愛し合うこともできない。死後の世界に関する本を書こうとするマリーは、キャスターの座も恋人も失う。

イーストウッドにとって重要なのは、死後の世界の真偽ではない。彼が3者の関係を通して描き出そうとするのは、そんな孤独と痛みを抱えた人間がみな何らかの“媒介者”になり得るということなのだ。

(初出:月刊「宝島」2011年3月号、若干の加筆)

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