『行き止まりの世界に生まれて』|ニューズウィーク日本版のコラム「映画の境界線」記事

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荒廃するラストベルト、悲惨な過去を乗り越えようとする若者の葛藤、『行き止まりの世界に生まれて』

ニューズウィーク日本版のコラム「映画の境界線」の2020年9月3日更新記事で、アメリカの新鋭ビン・リューの長編デビュー作となるドキュメンタリー『行き止まりの世界に生まれて』(18)を取り上げました。

産業が衰退したラストベルトにある街ロックフォードを舞台に、もがきながら成長する3人の若者を描いています。一見すると、子供の頃からそれぞれに父親や継父に暴力を振るわれてきた3人が、スケートボードにのめり込み、そのなかのひとり、ビンがビデオグラファーになり、仲間を撮るうちにドキュメンタリーに発展し、本作が誕生したかのように見えますが、実は作品の出発点は別のところにあり、非常に複雑なプロセスを経て完成にこぎ着け、結果としてドキュメンタリーの枠を超えたドキュメンタリーになっています。その隠れた出発点やプロセスがわかると、作品の印象も変わるのではないかと思います。

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荒廃するラストベルト、悲惨な過去を乗り越えようとする若者の葛藤、『行き止まりの世界に生まれて』

2020年9月4日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』|ニューズウィーク日本版のコラム「映画の境界線」記事



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性的虐待を隠蔽し、加害者を野放しにする秘密を守る文化 『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』

ニューズウィーク日本版のコラム「映画の境界線」の2020年7月16日更新記事で、フランソワ・オゾン監督・脚本の『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(19)を取り上げました。

オゾンが実話に基づく物語に初めて挑んだ新作。フランスのカトリック教会の神父による児童への性的虐待事件。長い沈黙を破って告発に踏み切る被害者たちの苦悩を掘り下げることに力点を置く構成ですが、その一方で、加害者の神父や事件を隠蔽する枢機卿の言動や態度には、単純に保守主義とか保身、組織的な隠蔽と表現してしまうことに違和感を覚えるような空気を感じました。記事では、フランス在住のジャーナリスト/社会学者フレデリック・マルテルが書いた大著『ソドム――バチカン教皇庁最大の秘密』を参照しつつ、その空気が何なのかについても考察しています。

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性的虐待を隠蔽し、加害者を野放しにする秘密を守る文化 『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』

2020年7月17日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷ほかロードショー

スティーヴ・マックィーン 『それでも夜は明ける』 レビュー

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檻に囚われた人間

イギリス出身の鬼才スティーヴ・マックィーンの映画を観ることは、主人公の目線に立って世界を体験することだといえる。

たとえば、前作『SHAME-シェイム-』では、私たちは冒頭からセックス依存症の主人公ブランドンの日常に引き込まれる。彼は仕事以外の時間をすべてセックスに注ぎ込む。自宅にデリヘル嬢を呼び、アダルトサイトを漁り、バーで出会った女と真夜中の空き地で交わり、地下鉄の車内で思わせぶりな仕草を見せる女をホームまで追いかける。だが、彼の自宅に妹が転がり込んできたことで、セックス中心に回ってきた世界はバランスを失っていく。この映画では、なぜ彼が依存症になったのかは明らかにされない。

新作『それでも夜は明ける』では、そんなマックィーンのアプローチがさらに際立つ。映画のもとになっているのは1853年に出版されたソロモン・ノーサップの回顧録だが、その原作と対比してみると映画の独自の視点が明確になるだろう。

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リティ・パニュ 『消えた画 クメール・ルージュの真実』 レビュー

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「下からの歴史」を炙り出すために

■ 大げさな観念を展開せず

カンボジアでは70年代後半にクメール・ルージュ(カンボジア共産党)の支配下で、150万とも200万ともいわれる人々の命が奪われた。プノンペン生まれのリティ・パニュは、10代半ばでこの悲劇を体験し、親兄弟や親族を亡くし、逃亡することで生き延びた。カンボジアとの国境に近いタイの難民収容所を経てフランスに渡った彼は、やがて映像作家となり、一貫してクメール・ルージュによるジェノサイドを題材にしたドキュメンタリーや劇映画を作り続けてきた。

新作『消えた画 クメール・ルージュの真実』でもその姿勢に変わりはないが、明らかにこれまでの作品とは異なる点がある。まず、パニュ自身の体験が直接的に語られている。しかも、その表現が独特だ。犠牲者が葬られた土から作られた人形たちを使ってかつて少年が目にした光景が再現され、アーカイブに残されたプロパガンダの映像と対置される。ナレーションに盛り込まれた回想や検証が二種類の映像と呼応し、動かない人形に生気が吹き込まれ、プロパガンダ映画の中の人々との間に皮肉なコントラストを生み出していく。しかしこの映画で注目しなければならないのは、そうした要素をまとめ上げている独自の感性だ。

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ジョシュア・オッペンハイマー・インタビュー 『アクト・オブ・キリング』:世界を私たちと彼ら、善人と怪物に分けるのではなく

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アンワル・コンゴとの出会い

60年代のインドネシアで共産主義を排除するために行われた100万人規模といわれるジェノサイド。世界に衝撃を与えたジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』は、この悲劇が過去のものではないことを私たちに思い知らせる。北スマトラで取材を進めていたオッペンハイマーは、虐殺の実行者たちがいまも大手を振って町を闊歩し、過去の殺人を誇らしげに語るのを目にし、自分たちで好きなように殺人を再現し、映画にすることを提案した。

もちろんこれは加害者であれば誰にでも通用するアイデアではない。映画作りの先頭に立つアンワル・コンゴは、映画館を根城にする“プレマン”と呼ばれるギャングだった。アメリカ文化に強い影響を受けている彼とその取り巻きは、映画スター気取りで殺人者を演じ、虐殺を再現していく。この映画で重要な位置を占めるのはそんなアンワルの存在だが、オッペンハイマーが彼に出会うまでには紆余曲折がある。

私が最初にインドネシアに行ったのは、プランテーションの労働者たちが映画を作るのを手伝うためでした。その『The Globalization Tapes』(03)を作っているときに、労働者たちが65年のジェノサイドの生存者であることを知りました。ベルギーの企業のために働く彼らは、防護服もないまま有害な除草剤を散布し、その毒性で肝臓をやられ40代で亡くなった人もいました。企業が扱っているのは、私たちの身の周りにある化粧品などに使われるパーム油です。そして労働者が組合や署名などで抵抗しようとすると、『アクト・オブ・キリング』に登場する準軍事組織、パンチャシラ青年団が企業に雇われ、彼らを脅迫や暴行で黙らせるのです。彼らは、両親や祖父母が組合員だったというだけで共産党の支持者とみなされパンチャシラ青年団に虐殺されているので、そういう脅迫により恐怖を感じるのです。私は、西欧や日本の日々の生活というものが、いかに他人の苦しみの上に築かれているのかを実感しました

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