リティ・パニュ 『消えた画 クメール・ルージュの真実』 レビュー
「下からの歴史」を炙り出すために
■ 大げさな観念を展開せず
カンボジアでは70年代後半にクメール・ルージュ(カンボジア共産党)の支配下で、150万とも200万ともいわれる人々の命が奪われた。プノンペン生まれのリティ・パニュは、10代半ばでこの悲劇を体験し、親兄弟や親族を亡くし、逃亡することで生き延びた。カンボジアとの国境に近いタイの難民収容所を経てフランスに渡った彼は、やがて映像作家となり、一貫してクメール・ルージュによるジェノサイドを題材にしたドキュメンタリーや劇映画を作り続けてきた。
新作『消えた画 クメール・ルージュの真実』でもその姿勢に変わりはないが、明らかにこれまでの作品とは異なる点がある。まず、パニュ自身の体験が直接的に語られている。しかも、その表現が独特だ。犠牲者が葬られた土から作られた人形たちを使ってかつて少年が目にした光景が再現され、アーカイブに残されたプロパガンダの映像と対置される。ナレーションに盛り込まれた回想や検証が二種類の映像と呼応し、動かない人形に生気が吹き込まれ、プロパガンダ映画の中の人々との間に皮肉なコントラストを生み出していく。しかしこの映画で注目しなければならないのは、そうした要素をまとめ上げている独自の感性だ。
筆者がまず興味を覚えたのは、パニュがプレスに収められたインタビューの中で、「私は農民であり、大地に根を張って生きてきました。とても素朴なんです。だから、大げさな観念を展開しません」と語っていることだ。確かにパニュの一族はもともと農民だったが、彼の父親は教師を経て文部官僚になった経歴を持ち、一家も首都プノンペンで農業とは無縁の豊かな生活を送っていた。だからこそ一家は、革命の敵である“新人民”として農村部に強制移住させられた。もちろんその後の再教育で過酷な労働を強いられたことは農民になることではあるが、この言葉がそれを指しているとはとても思えない。
筆者には、パニュのこの農民という認識が、これまでの創作活動の中で培われ、記憶や歴史を掘り下げる上で重要な要素になっているように思える。フランスに逃れたパニュは、母国語も含めてすべてを忘れ、生まれ変わろうとしたが、甦ってくる悪夢を消し去ることはできなかった。そこで映画に救いを見出すが、彼が試みたことは“オーラル・ヒストリー”と無関係ではない。
たとえば、インドネシアで60年代に起きたジェノサイドを題材にした『インドネシア 九・三〇事件と民衆の記憶』では、オーラル・ヒストリーが以下のように説明されている。「その基本発想は、歴史記述は単に大統領や国王、大臣らに関するものだけであってはならず、一般の人びと、その意識や視点、感覚などに関する事柄も含まれなければならない、ということである。この「下からの歴史」を記述するにあたっては、国家の公文書や文書記録からは多くの情報を期待することはできない。直接に当該の社会集団、たとえば労働者、農民、あるいは難民たちのところへ行き、彼らと話をしなければならない」
■ 農民の視点で、記憶や歴史を掘り下げる
パニュは、クメール・ルージュからの逃亡の10年後にタイの難民収容所を再訪し、最初のドキュメンタリー『サイト2』(89)を作った。そこには、過去と現在の生活を語るイム・オムという女性の姿が長回しでとらえられている。彼女は家族が所有する農地を追われ、父親を処刑され、難民収容所にたどり着いた。そんな女性の世界はこの作品だけで完結しない。
初の劇映画『ネアック・スラエ』(94)では、クメール・ルージュ崩壊後の農村で自然の猛威に晒されながら辛抱強く稲を育てる一家の姿がリアルに描き出される。この映画には注目すべき点が三つある。まず、一家の母親の名前がイム・オムであること。これは、『サイト2』に登場した難民女性が取り戻したいと望む世界でもある。次に、この映画がパニュの家族の思い出に捧げられていること。ここでは彼の一家の運命が、農民の苦闘に重ねられている。最後に、〝ネアック(=人)・スラエ(=水田)〟というタイトルが、稲作文化を基盤としてきたカンボジア人を指していること。この映画では、稲作文化を破壊する革命の力とそれを取り戻そうとする力がせめぎ合っている。
『ネアック・スラエ』は古い作品だが、パニュは『消えた画』を作りながら、どこかでそれを意識していたに違いない。なぜなら、父親が死ぬという共通する状況で、おそらくは同じものと思われる梟の映像を使っているからだ。それが何を意味するのかといえば、パニュがこの新作でも農民の視点で、記憶や歴史を掘り下げようとしているということだ。決して革命の敵とみなされた家族や同じ立場の人々の悲劇を描いているだけではない。
映画に登場する人形は、おそらくほとんどの記事で「犠牲者が葬られた土から作られた人形」というように説明されるはずだが、実際のナレーションでは「死者の埋まる水田の土と水を使い、手を動かして土人形を作る」と表現されている。この映画は、一体となっていた土、水、人、稲が、大増産のためだけにばらばらにされ、文化が破壊されることの恐ろしさを見事に浮き彫りにする。
さらに、プロパガンダの映像をめぐる検証でも下からの視点が際立つ。パニュは単に批判的な考察を加えて嘘を暴き出すだけではなく、それを撮影した人間の気持ちを読み取ろうとする。映像には支配者が隠そうとしたであろう悲惨な現実が映り込んでいたり、暗示的な表現が盛り込まれていたりするからだ。クメール・ルージュの専属で、独裁者ポル・ポトの演説も撮ったカメラマンは、最終的には拷問され、処刑されたという。つまり、土人形の世界とプロパガンダの映像は単純に対置されているのではなく、密接に結びつくことによって「下からの歴史」を炙り出しているのだ。
《引用文献》
●『インドネシア 九・三〇事件と民衆の記憶』ジョン・ローサ、アユ・ラティ、ヒルマン・ファリド編 亀山恵理子訳(明石書店、2009年)
(初出:「キネマ旬報」2014年7月下旬号)
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