スティーヴ・マックィーン 『それでも夜は明ける』 レビュー

Review

檻に囚われた人間

イギリス出身の鬼才スティーヴ・マックィーンの映画を観ることは、主人公の目線に立って世界を体験することだといえる。

たとえば、前作『SHAME-シェイム-』では、私たちは冒頭からセックス依存症の主人公ブランドンの日常に引き込まれる。彼は仕事以外の時間をすべてセックスに注ぎ込む。自宅にデリヘル嬢を呼び、アダルトサイトを漁り、バーで出会った女と真夜中の空き地で交わり、地下鉄の車内で思わせぶりな仕草を見せる女をホームまで追いかける。だが、彼の自宅に妹が転がり込んできたことで、セックス中心に回ってきた世界はバランスを失っていく。この映画では、なぜ彼が依存症になったのかは明らかにされない。

新作『それでも夜は明ける』では、そんなマックィーンのアプローチがさらに際立つ。映画のもとになっているのは1853年に出版されたソロモン・ノーサップの回顧録だが、その原作と対比してみると映画の独自の視点が明確になるだろう。


原作では最初に、奴隷から自由の身になった父親、自身の結婚や妻子との生活、カナダへの旅行、鉄道建設などこれまで関わった仕事、北部で偶然に出会った奴隷のことなど、拉致以前の様々な出来事が綴られる。自由を奪われて南部に向かう船では、同じ立場の黒人ふたりとかなり綿密な脱走計画を立てるが、実行の直前にひとりが天然痘で死亡し、流れてしまう。後にソロモンも発症するが、病院に運ばれなんとか回復する。

南部では、プラットとなった彼を敵視するティビッツの襲撃が一度では終わらない。二度目の襲撃では、凶暴な犬から逃れるために、毒蛇や鰐だらけの沼地を彷徨いつづけることになる。そして、カナダ人バスの手紙がソロモンの故郷に届いたあとも、関係者が必要な手続を踏み、彼を捜し出すまでに紆余曲折のドラマがある。

マックィーンは、そんな題材から情報やエピソードを削ぎ落とし、独自の世界を作り上げている。『SHAME-シェイム-』と新作を結んでみれば、彼が強い関心を持っているのが“檻”に囚われた人間であることがわかる。『SHAME-シェイム-』のブランドンは、妹という他者の視線にさらされることで自分が依存症という檻に囚われていることを自覚するが、身の周りからセックスに関わるものをすべて排除しても、精神の檻からは容易に抜け出すことができない。

『それでも夜は明ける』のソロモンは、奴隷制という檻に囚われる。しかし、そんな状況に陥っているのは彼だけではないし、他の奴隷たちだけでもない。ソロモンは原作のなかで、悪いのは冷酷な奴隷所有者よりも、彼らが立脚している制度であり、彼らは自分を取り巻く習慣や集団の影響を免れることができないといった指摘をしている。そしてマックィーンも、制度という檻を映像で見事に表現している。

見逃せないのはこの映画が、ドラマの流れでは後半に位置するさとうきび畑の収穫から始まることだ。そこではまず監督官が、整列した奴隷たちにいかに簡単な作業であるかを説明するが、この場面は非常に重要な意味を持っている。南部に単一の作物を栽培するプランテーションが広がったのは、農場主たちが、奴隷は学ぶことができないと信じ込み、一度教えたらずっとそれを繰り返すような作業で収益を得られる形態を選択したからだ。

広大な農地と奴隷労働が密接に結びついた制度は南部の土地に深く根を下ろし、簡単には変えることはできない。それは白人の支配者たちにとっても檻となる。プラットのように知識と教養を備えた奴隷の存在は、制度に依存しているだけのティビッツのような白人には価値観を揺るがすほどの脅威となる。農場主のエップスは、所有物であるパッツィーを愛してしまう自分を憎み、暴力に駆り立てられる。エップス夫人は制度を守ろうとするが、嫉妬を抑えることができず自分を見失ってしまう。パッツィーはそんな歪んだ関係の狭間でどこまでも追い詰められていく。

さらにマックィーンの映画では、音楽の効果にも注目する必要がある。たとえば、プラットが木に吊るされたまま放置される場面で、静けさが際立つのは音楽と無関係ではない。ティビッツが監督官に追い払われるまで流れているマルチ・リード奏者コリン・ステットソンのノイジーなバス・サックスのブロウが、静けさを強調する役割を果たしているからだ。また、『SHAME-シェイム-』では、ブランドンが妹の歌う<New York, New York>に心を揺さぶられ、涙を流す場面が印象に残るが、新作でも終盤の葬式の場面で歌われる黒人霊歌<Roll, Jordan Roll>が、心が折れかけたプラットの内面の変化を実に鮮やかに表現している。

では、ソロモン=プラットの目線に立って世界を体験するとき、そこにはなにが見えてくるのか。デイヴィド・B・モリスは『痛みの文化史』のなかで以下のように書いている。「痛みというものは、火や氷と同じくらい根源的である。痛みは、恋愛がそうであるように、人間の最も基本的な体験に属しており、私たちのありのままの姿をあきらかにする」。マックィーンはこの映画で、そんな根源的で普遍的でもある痛みを浮き彫りにしている。

《参照/引用文献》
●『12 Years a Slave』Solomon Northup (HarperPerennial Classics)
●『アメリカ人民の歴史(上・下)』レオ・ヒューバーマン 小林良正・雪山慶正訳(岩波新書)
●『痛みの文化史』デイヴィド・B・モリス 渡邉勉・鈴木牧彦訳(紀伊国屋書店)

(初出:『それでも夜は明ける』劇場用パンフレット)