ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『プリズナーズ』 レビュー

Review

過去や罪に囚われた者たちの運命を分ける、偶然と信仰心

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『プリズナーズ』は、ペンシルヴェニア州で工務店を営むケラーとその息子が鹿を狩る場面から始まる。親子が狩猟を終え、獲物を車の荷台に載せて自宅に向かっているとき、ケラーは父親から教えられたことを息子に伝える。それは「常に備えよ」という言葉に集約される。実際、自宅の地下室には、食料から防毒マスクまでサバイバルに必要なあらゆるものが備えられている。私たちは、ケラーの父親というのは、非常に用心深く、何事にも動じない人物だったのだろうと思う。

ところが、ドラマのなかでそんな印象が変わる。ケラーの行動に不審を抱いた刑事のロキは、古い新聞記事から、州刑務所の看守を務めていた彼の父親が自宅で自殺したことを知る。その事情は定かではないが、当時ティーンエイジャーだったケラーが立ち直れないほどのショックを受けたことは間違いない。


しかも現在の彼は、過去の悲劇に対して心の整理がついているようには見えない。かつて父親と暮らした家が荒れ放題のままになっているからだ。父親から本当に座右の銘となる教えを受けたのであれば、思い出がつまった家を大切にするはずだし、逆に辛い過去を清算したのであれば、リフォームして貸すなり、売却するなりしているはずだ。ケラーの心境をどう解釈するにせよ、少なくとも彼が過去に、家族が崩壊するような悲劇を体験していることは、心に留めておくべきだろう。

そして、もうひとりの主人公であるロキにも、首筋や指のタトゥーが示唆するように過去がある。彼は、飲んだくれの神父に地下室の遺体のことを吐かせるときに、6年間ハンティントン少年院にいたと語る。彼はそこから這い上がり、刑事になったことで過去を切り捨てるのではなく、受け入れているように見える。犯罪や犯罪者を見抜く上でそんな経験が生きることが多々あるからだ。

この映画では、登場人物たちの過去が具体的に描かれることはないが、状況や細部を見ればそれが重要な意味を持っていることがわかる。ロキが捜査の過程で出会う人々はみな過去に縛られている。神父が飲んだくれになったのは、地下室の遺体と無関係ではないだろう。26年前に息子を何者かに連れ去られた母親は、それから毎日、息子が映ったビデオを見つづけている。彼女の時間は息子が消えた時点で止まっているといえる。容疑者ボブ・テイラーも、過去の体験から抜け出すことができずに出口のない迷路を彷徨いつづけていたことがわかる。

彼らはみな“プリズナーズ”だといえるが、映画のタイトルには別な意味も込められているように思う。映画の冒頭には祈りの言葉があり、その後もケラーの車のミラーに吊るされた十字架やロキの手の甲に刻まれた十字架のタトゥーなどがさり気なく映し出されるように、この物語は信仰と深く関わっている。過去に縛られるだけでなく、邪悪な存在が仕掛けた罠にかかり、信仰心を見失い、罪を犯す者がプリズナーズなのだ。過去を引きずりつつも信仰に支えられていたケラーは、いままさにその一人になろうとしている。ロキは優秀な刑事だが、彼の手腕だけではそんな人間を救うことはできない。この映画は、人の力だけではどうすることもできない世界を描いているからだ。

ヴィルヌーヴ監督の作品では、積み重なる偶然が必然であったかのように見えることがある。この映画も例外ではない。たとえば、消えたアナが探していたのが父親からもらったホイッスルであったこと、ケラーの妻グレイスから話を聞いていたロキが、彼女に指摘されてメモをとったこと、自分のデスクに抑えようのない怒りや苛立ちをぶつけたロキが、散乱した現場写真から迷路の符合に気づくこと。そんな偶然と捨て去ることができない信仰心が絡み合うとき、風に紛れてかすかに響く祈りのようなホイッスルの音が、善人の耳に届くことになる。

(初出:『プリズナーズ』劇場用パンフレット)

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