ジャン=マルク・ヴァレ 『カフェ・ド・フロール』 レビュー

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ケベック映画の監督としての新たな挑戦
時空を超えた家族の対立と和解の物語

筆者ホームページ“crisscross”の方に、ジャン=マルク・ヴァレ監督の『カフェ・ド・フロール』のレビューをアップしました。劇場用パンフレットに書いたものです。ヴァネッサ・パラディが主演しています。レビューをお読みになりたい方は、以下のリンクからどうぞ。

ジャン=マルク・ヴァレ 『カフェ・ド・フロール』 レビュー

ヴァレの作品は、ケベックに深く根ざした作品と国外で撮った作品に大きく分けることができますが、これは前者に属する作品で、ケベック映画としての前作にあたる『C.R.A.Z.Y.』のレビューを先に読まれると、よりわかりやすいかもしれません。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『プリズナーズ』 レビュー

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過去や罪に囚われた者たちの運命を分ける、偶然と信仰心

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『プリズナーズ』は、ペンシルヴェニア州で工務店を営むケラーとその息子が鹿を狩る場面から始まる。親子が狩猟を終え、獲物を車の荷台に載せて自宅に向かっているとき、ケラーは父親から教えられたことを息子に伝える。それは「常に備えよ」という言葉に集約される。実際、自宅の地下室には、食料から防毒マスクまでサバイバルに必要なあらゆるものが備えられている。私たちは、ケラーの父親というのは、非常に用心深く、何事にも動じない人物だったのだろうと思う。

ところが、ドラマのなかでそんな印象が変わる。ケラーの行動に不審を抱いた刑事のロキは、古い新聞記事から、州刑務所の看守を務めていた彼の父親が自宅で自殺したことを知る。その事情は定かではないが、当時ティーンエイジャーだったケラーが立ち直れないほどのショックを受けたことは間違いない。

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ジャン=マルク・ヴァレ 『ダラス・バイヤーズクラブ』 レビュー

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伝統的なカウボーイ文化から排除され、カウボーイに還る

実話に基づくジャン=マルク・ヴァレ監督の『ダラス・バイヤーズクラブ』の主人公は、80年代半ばのテキサスで電気技師として働きながら、ロデオと酒と女に明け暮れるカウボーイ、ロン・ウッドルーフだ。ある日、自分のトレーラーハウスで意識を失い、医師からHIV陽性、余命30日と宣告された彼は、動揺しつつもエイズの情報をかき集める。

ランディ・シルツの大著『そしてエイズは蔓延した』に書かれているように、当時のアメリカで何らかの治験薬を投与されていたエイズ患者は1割にも満たず、薬剤の入念な試験が終わるのを待つ間に力尽きる患者が跡を絶たない状況だった。

そこでこの主人公は、メキシコに行って国外で流通する治療薬を仕入れ、自分で使うだけでなく、商売も始める。直接、薬を売買するのはまずいので、会費を募り、必要な薬を無料で配布するというシステムを作る。それが“ダラス・バイヤーズクラブ”だ。

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クロード・ガニオン 『カラカラ』 レビュー

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禅の世界に通じる喪失と再生の物語

新しい世紀に入って再び日本で映画を作るようになったクロード・ガニオン監督にとって、『カラカラ』(12)は、『リバイバル・ブルース』(03)、『KAMATAKI‐窯焚‐』(05)につづく新作になる。この三作品を対比してみると、新作では前の作品に見られたモチーフがかたちを変えて引き継がれ、掘り下げられていることがわかる。

『リバイバル・ブルース』に登場する健は、かつて親友の洋介とバンドという夢を追いかけたが、堅実な人生を歩む決断をしたことで夢は終わりを告げた。この映画ではそんな健が、末期癌の洋介の最期を看取ることになる。『カラカラ』の主人公ピエールは、二年前に親友を喪った。かつて二人にはソーラーハウスという大きな夢があったが、ピエールはそれを捨て、安定や社会的地位を選んだ。

『KAMATAKI‐窯焚‐』に登場する日系カナダ人の若者ケンは、父親を喪った哀しみから立ち直れず、自殺をはかった。そんな彼は陶芸家である叔父の窯元を訪ね、信楽焼の陶器に言葉では表現しがたいなにかを感じたことがきっかけで、再生を果たしていく。『カラカラ』にも異文化との出会いがある。喪失と死の不安に苛まれるピエールは、沖縄県立博物館で目にした人間国宝・平良敏子が織った芭蕉布になぜか強く惹きつけられていく。

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『コズモポリス』&『ホーリー・モーターズ』 レビュー

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生身の身体とテクノロジー、そして、私たちを覚醒させる“痛み”

奇しくも時期を同じくして公開されるデヴィッド・クローネンバーグ監督の『コズモポリス』とレオス・カラックス監督の『ホーリー・モーターズ』には、注目すべき共通点がある。二本の映画では、それぞれにニューヨークとパリを舞台に、白塗りのリムジンに乗った男、というよりもある意味でリムジンと一体化した男の一日が描かれる。

ドン・デリーロの同名小説を映画化した『コズモポリス』に登場する28歳のエリック・パッカーは、投資会社を経営する大富豪で、そこがオフィスであるかのように巨大なハイテクリムジンから莫大なマネーを動かしている。そんな彼はなぜか2マイル先にある床屋を目指し、破滅へと引き寄せられていく。

一方、カラックスにとって13年ぶりの新作長編となる『ホーリー・モーターズ』の主人公オスカーの仕事は少々謎めいて見える。彼が乗るリムジンの座席にはその日のアポの内容が記載されたファイルが置かれている。ただしアポといっても、人と会ったり、会合に出たりするのとは違う。

オスカーは、リムジンに装備された衣装やカツラ、メイク道具などを駆使して、ファイルで指定された人物になりきり、指定された場所で指定された時間だけその人物を演じる。このある一日に彼は、銀行家、物乞いの老女、殺人者、死にゆく老人など11人の人物に次々と変身していく。

ふたりの主人公に起こることはまったく違うが、この二本の映画が掘り下げているテーマは非常に近いところにあるといえる。

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