今週末公開オススメ映画リスト2012/02/16

週刊オススメ映画リスト

今回は『昼下がり、ローマの恋』、『ザ・トーナメント』、『メランコリア』、『汽車はふたたび故郷へ』、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、『おとなのけんか』(順不同)の6本です。軽妙な恋愛オムニバス、意外な掘り出し物から、世界の終わりや9・11以後、ディアスポラ体験までいろいろと。

『昼下がり、ローマの恋』 ジョヴァンニ・ヴェロネージ

世代が異なる三組の男女の恋愛を軽妙なタッチで描いたオムニバス。注目度が高いのは、ロバート・デ・ニーロとモニカ・ベルッチが共演している三本目だろう。確かにそれも悪くはないのだが、個人的には一本目と二本目のひねりが巧みで、かなり楽しめたので、リストに加えることにした。

若気の至りを描く一本目。ローマに暮らし、恋人サラと結婚するつもりの野心的な青年弁護士ロベルトが、農場の立ち退き交渉を命じられ、トスカーナの田舎町に出張するが、そこで出会ったゴージャスな美女ミコルに心を奪われ、骨抜きになってしまう。

この話の面白さは、たとえば(ちょっと古くて恐縮だが)ピエラッチョーニの『踊れトスカーナ!』を思い出してもらえばわかりやすい。そこに描かれているように、普通はどうしようもなく退屈なトスカーナの田舎町に、外部から日常を忘れさせるような美女がやってきてというのが基本形だが、このエピソードはその図式をひっくり返して、退屈なはずの田舎町の方になぜか自由奔放な謎の美女がいる。


もちろんそのミコルは、ロベルトが勝手に期待し、想像しているようなミューズではない。最終的に彼は綱渡りを強いられ、冷や汗をかくことになる。

そんな第一話からわかるように、このオムニバスでは、主人公の前に現れる謎のミューズの見せかけと正体の落差がひとつのポイントになる。そして、その落差が最も大きいのが中年の危機を描く第二話だ。有名なニュースキャスターのファビオが、セラピストを自称する美女エリアナに出会い、彼女の巧みな誘惑に屈してしまう。やがて彼女の正体が明らかになり、ファビオは天国から地獄に突き落とされ、泥沼であがくことに。彼にとってはかなり悲惨な状況だが、ファビオを演じるカルロ・ヴェルドーネがおかしくて、ついつい笑ってしまう。だが、最後に美女が素顔を見せたときに、またもドラマのトーンが変わるところが印象深い。

ちなみに、第三話には、その後、ファビオがさらに悲惨な状況に陥っているエピソードがテレビのニュースとして挿入されるのだが、一体彼はどうなってしまうのか。気になってしまった。

『ザ・トーナメント』 スコット・マン

7年に一度、世界中から最強の“殺し屋”が集結し、殺し合う「トーナメント」と呼ばれる競技会が開かれる。それは、金を持て余した連中を集めて秘密組織が主催するアンダーグラウンドな賭博大会でもあった。

プレスに添えられた新作映画のご案内という紙資料には、「開催地はロンドン」と書いてあるが、実際には同じイギリスでもロンドンからはずいぶん離れている北部のミドルズブラ。しかも2009年の作品でありながら、わざわざロンドン五輪に引きつけて売らねばならないほどきびいしい作品なのか、でもロバート・カーライルが見られるならまあいいか、という程度の関心から観てみたのだが、意外や意外、面白かった。つぼを心得た脚本、演出、キャラクターの造形。

競技会は既存の監視カメラも勝手に総動員して賭博会場に中継される。舞台はロンドンではないものの、人口に対する監視カメラの普及率が最も高い国といえばイギリスで、競技会を仕切る組織のボスは開幕に先立って「イギリスでは初開催ですが、監視カメラだらけの国なので、楽しめそうです」と語る。

殺し屋たちは発信機を埋め込まれ、お互いの位置や動きを確認する。ロバート・カーライルも殺し屋なのかと思っていたら、競技会とはまったく関係のないアル中のダメダメな神父さまで、ある殺し屋が自分の身体から取り出した発信機を、なにも知らずにコーヒーといっしょに飲んでしまい、参加者にされてしまう。

プロローグとなる7年前のブラジル大会の結末、バーで寝込んでいたアル中神父が登場そうそうにやらかす嘔吐、24時間後に自動的に爆発する発信機、監視カメラが設置されていなかった教会など、散りばめられた伏線も効果的で、うまいことまとめている。

『メランコリア』 ラース・フォン・トリアー

世界の終わりの荘厳な美しさだけでも一見の価値あり。劇場用パンフレットに「人間の在り方を原点から問い直す――鬼才トリアーの世界」というタイトルの作品評を書いております。当ブログの『メランコリア』試写室日記『メランコリア』劇場用パンフレットもぜひお読みください。

『汽車はふたたび故郷へ』 オタール・イオセリアーニ

イオセリアーニの自伝的な要素が盛り込まれ、『月曜日に乾杯!』や『ここに幸あり』といった近作とはひと味違う新作。当ブログの『汽車はふたたび故郷へ』レビューをお読みください。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 スティーヴン・ダルドリー

スティーヴン・ダルドリーの初監督作品『リトル・ダンサー』の背景には、サッチャー政権と全国鉱山労組の死闘があった。それは勝利か敗北しかない戦いで、そんな状況のなかで主人公の少年ビリーがバレーをやりたいと言い出すことは裏切りにもなりかけない。しかしこの家族は、そんな二者択一を乗り越え、第三の道を切り開く。『愛を読むひと』にも、ハンナの過去と秘密を知ったマイケルが彼女を愛すのか憎むのか、許すのか裁くのかという二者択一があるが、大人になった彼は、苦悩しながら二者択一を乗り越え、彼にしかできない第三の道を切り拓く。

新作の主人公は、9・11で父親を亡くした少年オスカー。9・11以後という題材も、しばしば二者択一の世界観を招きよせる。この映画のなかでオスカーのよきパートナーとなる“間借り人”は、しゃべることができない。彼の両方の手のひらには、「Yes」と「No」の文字が刻み込まれている。父親のクローゼットで見つけた鍵の謎を解こうとするオスカーが、その鍵について間借り人に質問をすれば、その答えは二者択一になる。しかしオスカーは、ブラックという名前を手がかりにした探検を通して、最終的に第三の道を切り拓くことになる。

『おとなのけんか』 ロマン・ポランスキー

『おとなのけんか』試写室日記では、この映画の舞台がわざわざブルックリンに設定されていることについて少し意地悪な想像をしてみたが、アメリカに対するポランスキーの悪意がさり気なく埋め込まれていることは確かだろう。と同時に、映画のもとになっているヤスミナ・レザの風刺劇が最も効果的に機能するのが、“ポリティカリー・コレクトネス”を掲げ、それに縛られる国であるという判断も間違ってはいない。だからこの映画にはいろいろな面白さを見出せる。