ショーン・ダーキン 『マーサ、あるいはマーシー・メイ』 レビュー

Review

現実を単純化した二元論的な世界に囚われてしまうことの恐怖

(レビューをお読みになるまえに『マーサ、あるいはマーシー・メイ』試写室日記をチェックされると、より盛り上がるかもしれません。このレビューが、あちらで提示したヒントの答えになっているともいえますので)

アメリカの新鋭ショーン・ダーキンの長編デビュー作『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は、ヒロインのマーサがカルト集団の農場を密かに抜け出すところから始まる。森を抜け、町に出た彼女は、取り乱しながら姉に電話する。

結婚したばかりの姉は、建築関係の仕事をする夫と休暇を過ごしているところで、マーサは湖畔の豪華な貸別荘に迎えられる。しかし、彼女の精神状態は不安定で、現在とマーシー・メイという別の名前で過ごした過去、現実と幻想の区別がつかなくなっていく。

この映画はそんなヒロインの視点に立ち、緻密にして巧妙な編集によって現在のドラマと過去の体験の境界が曖昧にされている。その映像は確かに効果的で、私たち観客も混乱させられる。一般的に言えばこれは、マインド・コントロールの恐ろしさを生々しく描き出しているということになるはずだ。

だが、「普通」と「異常」という二つの世界があって、その境界が崩れていく映画であれば、筆者はさほど興味をそそられなかっただろう。

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『マーサ、あるいはマーシー・メイ』 『フライト』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『マーサ、あるいはマーシー・メイ』 ショーン・ダーキン

アメリカの新鋭ショーン・ダーキンの長編デビュー作。カルト集団から脱走し、湖畔の別荘で休暇を過ごす姉夫婦と暮らすことになった若い女性マーサ。だが、マーシー・メイという名前で過ごしたカルトでの体験がよみがえり、次第に過去と現在、現実と幻想の境界が曖昧になっていく。

この作品については、観る前から自分の好みの映画だという確信があった。それは題材に興味があったからということではない。製作総指揮にテッド・ホープの名前があったからだ。彼は筆者が絶対的な信頼を寄せるプロデューサーで、実際この作品でも彼の“目利き”に間違いはなかった。

↓予告編の次に貼ったのは2011年のサンダンス映画祭におけるこの映画のスタッフ・キャストの会見を収めたものだが、司会進行を務めるメガネのおじさんがテッド・ホープだ。彼が頭角を現した頃には、手がけた作品を取り上げるたびに彼のこともプッシュしていたが、最近はあまり触れていなかったので、ここで少し振り返っておくのも悪くないだろう。

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