『マーサ、あるいはマーシー・メイ』 『フライト』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『マーサ、あるいはマーシー・メイ』 ショーン・ダーキン

アメリカの新鋭ショーン・ダーキンの長編デビュー作。カルト集団から脱走し、湖畔の別荘で休暇を過ごす姉夫婦と暮らすことになった若い女性マーサ。だが、マーシー・メイという名前で過ごしたカルトでの体験がよみがえり、次第に過去と現在、現実と幻想の境界が曖昧になっていく。

この作品については、観る前から自分の好みの映画だという確信があった。それは題材に興味があったからということではない。製作総指揮にテッド・ホープの名前があったからだ。彼は筆者が絶対的な信頼を寄せるプロデューサーで、実際この作品でも彼の“目利き”に間違いはなかった。

↓予告編の次に貼ったのは2011年のサンダンス映画祭におけるこの映画のスタッフ・キャストの会見を収めたものだが、司会進行を務めるメガネのおじさんがテッド・ホープだ。彼が頭角を現した頃には、手がけた作品を取り上げるたびに彼のこともプッシュしていたが、最近はあまり触れていなかったので、ここで少し振り返っておくのも悪くないだろう。


1962年生まれのテッド・ホープは、ニューヨーク州立大学バーチェス校時代からの仲間であるハル・ハートリーとの共同作業からキャリアをスタートさせ、さらにアン・リーともデビュー作から組むようになる。1990年にジェームズ・シェイマスと共同でプロダクション、グッド・マシーンを設立して一時代を築き、その後、2002年に新たなプロダクションThis is Thatを設立し、アメリカのインディペンデント・シーンを牽引しつづけている。

彼が手がけた作品をざっと並べてみる。ハル・ハートリー:『トラスト・ミー』『シンプルメン』『愛・アマチュア』他、アン・リー:『推手』『ウェディング・バンケット』『アイス・ストーム』他、トッド・ヘインズ:『SAFE』、エドワード・バーンズ:『マクマレン兄弟』『ノー・ルッキング・バック』他、バート・フレインドリッチ:『家族という名の他人』、トッド・ソロンズ:『ハピネス』『ストーリーテリング』、トッド・フィールド:『イン・ザ・ベッドルーム』、ミシェル・ゴンドリー:『ヒューマンネイチュア』、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ:『21グラム』、マイク・ミルズ:『サムサッカー』、ジェフ・フォイヤージーグ:『悪魔とダニエル・ジョンストン』etc

そのラインナップからは「サバービア」や「家族」というキーワードを抽出することができる。しかも、正攻法ではなく、独自の視点やスタイルによって普通に見えるものから、普通ではないものを炙り出しているといっていいだろう。

『マーサ、あるいはマーシー・メイ』とはあまり関係ないことを長々と書いていると思われるかもしれないが、そういうつもりはない。テッド・ホープの軌跡は、この映画のポイントをつかむためのヒントにもなる。いくら研ぎ澄まされた映像や緻密な構成ではあっても、もしカルト集団の洗脳の恐ろしさだけを描いているのであれば、クレジットにホープの名前はなかっただろう。それがヒントだ。

『フライト』 ロバート・ゼメキス

ロバート・ゼメキスが久しぶりに実写に挑んだ新作。主人公のウィトカー機長を演じるのはデンゼル・ワシントン。『デンジャラス・ラン』のときもそうだったが、単純な善悪の基準では割り切れないようなキャラクターをやらせると無類の存在感を発揮する。しかしもちろん、彼の演技力だけではここまで引き込むことはできない。

この映画では、ゼメキスの人生観や世界観が反映されたストーリーテリングを堪能できる。『フォレスト・ガンプ』でも『コンタクト』でも『キャスト・アウェイ』でも、主人公はどちらに転ぶかわからない宙吊りの立場にある。彼らの運命は、鳥の羽根(『フォレスト・ガンプ』)や天使の羽根(『キャスト・アウェイ』)に象徴される“巡り合せ”と主人公の心持ちがどうのように噛み合うかで決まる。

この映画でなにがその羽根に相当するのかがわかると、ドラマがいっそう奥深いものになる。