『みんなで一緒に暮らしたら』 『ライク・サムワン・イン・ラブ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『みんなで一緒に暮らしたら』 ステファン・ロブラン

フランス映画界の新鋭ステファン・ロブランの監督第2作。それほど遠くはない未来に死が訪れるであろう5人の老人たち(2組の夫婦と独身者)。昔から誕生日をともに祝ってきたこの仲間が自分たちの人生を守るために始めた共同生活がユーモアを交えて実に生き生きと描き出される。

ジェーン・フォンダやジェラルディン・チャップリンらのアンサンブルに加えて、犬の散歩係に雇われたことをきっかけに老人たちの観察者になっていく若者にダニエル・ブリュール(『グッバイ、レーニン!』『ベルリン、僕らの革命』)が扮している。

試写を観る前から面白そうな予感がしていたが、期待を上回る素晴らしい作品だった。老人たちの性をユーモラスかつ赤裸々に描いているところが魅力と思う人もいるかもしれないが、それは映画の表面的な要素に過ぎない。


この映画の背景には、ニコラウス・ゲイハルターが『眠れぬ夜の仕事図鑑』で浮き彫りにしてみせたヨーロッパがある。そのプレスにはゲイハルターの以下のような言葉がある(抜粋)。

「人々は安全と繁栄に恵まれ、充実した医療制度もあり、社会的セーフティネットは適所に配置されており、生きるために必要なものはすべて揃っています」

「しかし、私たちは独占・利益の制限・搾取といった犠牲を払うことで、この特権的な生活を手に入れているのです」

それを踏まえて、筆者が「死が脱人間化されていく時代のなかで、極めて人間的な過程である死を取り戻すために」というタイトルをつけて書いたジル・ブルドス監督の『メッセージ、そして、愛が残る』のレビューを読んでいただくと、ここで言わんとすることがおわかりいただけるだろう。

『みんなで一緒に暮らしたら』には、「死」が死にゆく人やその家族の手を離れ、それ以外の力に制御されていく世界から抜け出すための処方箋が提示されている。さらに印象的なラストには、もうひとつのポイントがあるが(そのヒントは、ダン・アイアランド監督の『クレアモントホテル』にあるともいえる)、あらためてレビューで詳しく書くことにしたい。

『ライク・サムワン・イン・ラブ』 アッバス・キアロスタミ

アッバス・キアロスタミが母国イランを離れて作った『トスカーナの贋作』につづく新作。日本人の俳優(奥野匡、高梨臨、加瀬亮)を起用し、日本を舞台に日本語で作られた作品。

こちらも素晴らしい! 筆者は「監督には性格が悪いところもないと、面白い映画は作れない」というタイトルで『トスカーナの贋作』のレビューを書いた。

『トスカーナの贋作』ではその導入部、ハンバーガーショップにおける母親と息子のやりとりから、キアロスタミ的な洞察が露になっていた。息子は母親の痛いところを言葉でちくちくと突く。それが半端ではない。そして、そんな関係がその後に展開されるドラマのひとつのポイントになっていた。

『ライク・サムワン・イン・ラブ』の導入部はそれに負けていない。ヒロインの明子と彼氏の携帯電話を通したやりとり。明子がいま居る店について、本当のことを言っているのか嘘をついているのか、彼氏は携帯だけでどのように確認するか。

彼氏は明子に店のトイレに行くように命じる。なにを考えているのかと思ったら、彼女にトイレのタイルの数を数えさせ、後で確認するつもりなのだ。このエピソードは、その後に展開していくドラマのポイントになる。

もうひとりの登場人物である元大学教授のタカシは、この彼氏のそんな嘘を見破る執念深さを承知していたら、安易な嘘をつくことはなかったかもしれない。

そこらへんに冒頭から、キアロスタミのいい意味での性格の悪さというものが露になっている。もちろん、冒頭だけではなく、彼ならではの洞察と演出が随所に散りばめられ、強烈な印象を残すラストを招きよせる。詳しいことはいずれレビューで書くが、さすがである。