『オンリー・ゴッド』のニコラス・ウィンディング・レフンにインタビューした

News

主人公のなかのマスキュリニティとフェミニニティをめぐって

2014年1月25日(土)より新宿バルト9ほかで全国ロードショーになる新作『オンリー・ゴッド』(13)のプロモーションで来日したデンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフン監督にインタビューしました。

タイのバンコクを舞台にした『オンリー・ゴッド』は、様々な賞に輝いた『ドライブ』につづいてライアン・ゴズリングとレフンが再びタッグを組んだ作品ですが、『ドライブ』の続編のようなものを想像していると、頭を抱えることになると思います。

『ドライブ』にはジェイムズ・サリスの同名小説という原作があり、脚色の段階でかなり手が加えられてレフンの世界に塗り替えられてはいましたが、彼の世界がストレートに表現されていたわけではありません。

これに対して『オンリー・ゴッド』は、ストレートに表現した作品で、その視点や表現など、『ドライブ』以前の『ブロンソン』や『ヴァルハラ・ライジング』に通じるものがあります。ゴズリング扮するジュリアンが最終的に到達する境地は、『ヴァルハラ・ライジング』のワン・アイのそれと似た空気を漂わせています。


レフン作品で暴力描写とともに興味深いのが、マスキュリニティとフェミニニティの関係です。暴力を描けばマスキュリニティが前面に出そうなものですが、彼の作品の主人公のなかでは、マスキュリニティとフェミニニティが奇妙に入り混じっています。

『プッシャー』の主人公フランクと高級娼婦ヴィクの関係はプラトニックです。『プッシャー2』で刑務所から出てきたトニーは不能になっています。『ブロンソン』のマイケル・ピーターソンは、暴力的ですが、性的な欲望をあらわにすることがほとんどありません。『ドライブ』の原作では、ドライバーとアイリーナは「すっかりできて」いますが、映画のドライバーとアイリーンはそういう関係にはなりません。そして『オンリー・ゴッド』にもレフンの世界を象徴するようなセックスの表現があります。

限られた取材時間のなかでこういうことを聞くのはちょっとヘビーかなとも思いましたが、レフン監督はマスキュリニティとフェミニニティに対する考え方、そしてそれぞれの作品におけるふたつの関係と意味について実に丁寧に語ってくれました。ほかにもかなり面白いやりとりがありましたが、ここらへんにしておきます。インタビュー記事は「CDジャーナル」2014年2月号に掲載されます。