ポン・ジュノ 『スノーピアサー』 レビュー

Review

テクノロジーに依存した閉ざされた世界がたどり着く場所

韓国の異才ポン・ジュノは、『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『母なる証明』といった作品で、実際の連続殺人事件や突然変異で生まれた怪物の背後に北の脅威や軍事政権、韓米同盟などを見据え、巧妙に映し出してきた。

この監督のそんな洞察力や想像力は、海外の大舞台でも通用するのか。フランスのコミックを大胆に脚色し、国際的な豪華キャストを起用した新作『スノーピアサー』にその答えがある。

地球温暖化を防ぐために化学薬品が撒かれた結果、新たな氷河期に突入した地球では、大企業が製造し、大陸を結んで走り続ける列車“スノーピアサー”だけが、残された人類の唯一の生存場所となっている。


その車内は、前部の富裕層と後部の貧困層に分断され、革命を目指すリーダー格のカーティスと仲間たちは、最後尾から厚い扉と兵士に守られた前部を目指す。果たして彼らは、列車の創造主である企業の総帥がいる先頭車両にたどり着くことができるのか。

ポン・ジュノが切り拓くヴィジョンははっきり言ってすごい。路線によってひとつに結ばれた大陸をきっかり一年で一周する列車はこの世界の縮図になっている。永久運動機関というテクノロジーに支えられ、海の生き物を養殖する巨大水槽や植物園まで備えた列車は、自然に対する人間の支配を認める「創世記」や西洋哲学における人間中心主義を象徴している。

そうしたヴィジョンは、表現のスタイルはまったく違うが、テレンス・マリックの『トゥ・ザ・ワンダー』に通じるものがある。筆者は、その世界が愛と神、人間中心主義と環境倫理学の四つの要素で構成されていると解釈した。

では、『スノーピアサー』の場合はどうか。最後尾の人間が先頭車両の創造主を目指す展開には、神話的な物語の魅力が漂う。だが、カーティスは終盤で、これまで信じてきた価値観や関係がすべて崩れ去るような事実と向き合うことを余儀なくされる。その事実が露にするのは、突き詰めればテクノロジーに依存する閉ざされた空間=人間中心主義の限界といえる。

だからこそ、人間の位置を自然のなかに据える環境倫理学を想起させるようなラストが際立つことになる。

(初出:月刊「宝島」2014年3月号、若干の加筆)