『Impressions of Tokyo: Ancient City of the Future』 by Richie Beirach



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東京点描と3・11以後、個人的な記憶と文化的記憶について

久しぶりにリッチー・バイラークのピアノを聴いた。Outnoteというレーベルの“Jazz and the City”というシリーズの一作。それぞれのアーティストが縁のある都市を選び、ソロで表現する。これまでにEric Watsonの『Memories of Paris』、Kenny Warnerの『New York – Love Songs』、Bill Carrothersの『Excelsior』といったアルバムがリリースされている。

バイラークが選んだのは東京。ジャケットには「東京点描」や「未来を映す古都」という日本語も刻み込まれている。全16曲のなかには、バイラークと交流があった日本のアーティストへの思いを込めた<Takemitsu-san>や<Togashi-san>、日本文化を題材にした<Kabuki><Zatoichi-Kurosawa><Rock Garden>といった曲が盛り込まれている。

『Impressions of Tokyo』

そうした曲のなかに、少し違和感を覚える曲名があった。14曲目の<Tragedy in Sendai>だ。この曲名は明らかに東日本大震災のことを意味しているが、このアルバムはいつレコーディングされたのだろうか。


Outnote recordsのサイトに、プロデューサーのコメントがある。このレコーディングは2010年9月に行われ、その半年後、日本は広島、長崎への原爆投下以降、最悪の災難に見舞われた。そこでバイラークはこのアルバムを日本の人々に捧げることにした。要約すれば、そういうことのようだ。

だが、素朴な疑問が残る。不穏な空気が漂い、どこか崩壊を予感させる<Tragedy in Sendai>には、もともとどんなタイトルが付けられていたのか。

さらに、もうひとつ気づいたことがある。このアルバムを取り上げているいくつかの日本のサイトでは、その曲名に違いがある。<Tragedy in Sendai>は<Earthquake>になっている。さらに、9曲目の<Lament for Hiroshima and Nagasaki>がただ<Lament>になっている。

ただし、ここでタイトルが違う理由にこだわるつもりはない。筆者が関心を持っているのは、タイトルの効果だ。<Earthquake>や<Lament>であれば、すべての曲はバイラークの個人的な記憶という枠組みにおさまっている。

しかし、東日本大震災と結び付けられると、アルバムが持つ意味が変わってくる。マリタ・スターケンが『アメリカという記憶』のなかで区別している「正史としての歴史的言説」、「個人的な記憶」、「文化的記憶」のことを思い出すなら、このアルバムは、「個人的な記憶」からはみだし、わずかではあるが「文化的記憶」に近づく。

たとえば、私たちは、<Tragedy in Sendai>と<Lament for Hiroshima and Nagasaki>をどう関係づけるのか。あるいは<Bullet Train>というテクノロジーと<Cherry Blossom Time>という自然とをどう関係づけるのかによって、個人的な記憶とは違う文化的記憶を生み出すこともありうる。このアルバムはそんなことも考えさせる。

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Richie Beirach
Impressions of Tokyo – Ancient City of the Future – Richie Beirach

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