マット・リーヴス 『モールス』 レビュー

Review

レーガン時代のアメリカが少年少女の孤独を際立たせる

『モールス』は、トーマス・アルフレッドソン監督のスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)のリメイクだ。オリジナルとの大きな違いは、舞台がストックホルム郊外の田舎町からニューメキシコ州のロスアラモスの田舎町に変わったことだけではない。導入部にレーガン大統領の演説が挿入される『モールス』では、レーガン時代のアメリカが物語に独特の陰影を生み出していく。

レーガンはソ連を「悪の帝国(evil empire)」と呼び、善と悪の対立の図式を強調した。善はこちら側にあり、悪は向こう側にある。雪に閉ざされた田舎町をアメリカの縮図と見るなら、アビーという少女は向こう側からそこにやって来ることになる。


さらにキリスト教と政治の結びつきにも注目すべきだろう。80年代にはキリスト教右派と共和党が接近し、ニュー・ライトが誕生した。たとえば、ジェームズ・リッジウェイの『アメリカの極右』には以下のような記述がある。

「アメリカの社会が、それまでクロゼットにしまってあった人種差別主義をむやみに外に出そうとするようになった性格の変化の要因としては、さまざまなものが挙げられる。レーガン政府が極右派の登場を承認し、その支持を期待したことは、もっとも大きな要因の一つである」

「一九八〇年代になってロナルド・レーガンが政治の頂点に昇りつめ、「ニュー・ライト」が脚光を浴びるようになったことに勇気づけられて、人種差別集団が暴力事件を起こす頻度が急増した」

この映画では人種差別の要素は希薄だが、キリスト教が主人公の少年オーウェンに影響を及ぼしている。彼の母親はかなり宗教にのめり込んでいて、それが原因で夫と別居しているように見える。だから、少年のなかに善と悪をめぐる激しい葛藤が生じたとき、彼は父親に電話して答えを導き出そうとする。

しかし、この映画の背景としてのレーガン時代でより重要なのは、ジェンダーをめぐる問題だろう。たとえば、スーザン・ファルーディの『バックラッシュ』には以下のような記述がある。

「八〇年代に入ると、男たちはさらに抵抗感を深めた。右翼のジェリー・ファルウェル牧師から、左翼の詩人、文学者であるロバート・ブライに至るまで、男性聖職者や作家、政治家、学者たちはその政治思想の違いに関わりなく、“男の威信低下”という妄想にとりつかれてしまう。中絶反対運動のリーダー、ランドール・テリーなどは、女々しい羊の代わりに筋骨隆々の兵士タイプのキリストを旗印にして、何千もの男たちを結集させた。新しく起こった“メンズ・ムーブメント”は支持者を男だけの隠れ家へと駆り立て、男の女性化傾向を戒めては、内なる野生を呼び起こせとばかり気炎を上げるのだった」

オーウェン少年はいじめっ子から女扱いされる。だからナイフを隠し持ち、男らしくなろうとする。アビーは少年に尋ねる、「私のこと好き? たとえ普通の女の子じゃなくても?」

この映画の背景には、善と悪や男らしさと女らしさを上から一方的に規定するような社会がある。だからこそ少年少女の孤独や絆が際立つのだ。

●『モールス』(2010年/アメリカ/カラー/スコープサイズ/ドルビーデジタル)
出演:クロエ・グレース・モレッツ『キック・アス』、コディ・スミット=マクフィー『ザ・ロード』、リチャード・ジェンキンス『扉をたたく人』
監督・脚本:マット・リーヴス『クローバーフィールド/HAKAISHA』
原作:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト

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