『命をつなぐバイオリン』 『世界にひとつのプレイブック』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『命をつなぐバイオリン』 マルクス・O・ローゼンミュラー

ジョン・ボインの児童文学作品を映画化したマーク・ハーマン監督の『縞模様のパジャマの少年』では、大人の世界とふたりの子供たちの視点のズレを通して、ナチズムが描き出された。フェンスを挟んで向き合うふたりの少年は、強制収容所が何なのかを知らないままに、友情を育んでいく。

ナチスが台頭する時代を背景に、ユダヤ人の少年と少女、ドイツ人の少女の友情を描く本作にもそれに通じる視点がある。導入部で明らかなように、神童といわれるユダヤ人の少年と少女は、優遇はされているものの、ナチスの侵攻以前にすでに共産党のプロパガンダに利用され、才能を搾取されている。

ナチスの支配下で3人が友情を育むことは、音楽を自分たちの手に取り戻そうとすることでもあるが、終盤に難点がある。それはあらためてレビューで書くことにしたい。

『世界にひとつのプレイブック』 デヴィッド・O・ラッセル

すごく楽しみにしていた作品だが、少し心配もしていた。「People」誌で「世界一セクシーな男」に輝いたブラッドリー・クーパーと、飛ぶ鳥を落とす勢いのジェニファー・ローレンス(筆者もギジェルモ・アリアガの『あの日、欲望の大地で』で見初めてから目を離すことができない)が、主人公としてともに精神を病んだ人物を演じるというのは、さすがに鼻白むのではないかということだ。

結果からいえば、それは杞憂に終わった。でも、デヴィッド・O・ラッセルが監督していなかったら、おそらくこうはいかなかっただろう。マシュー・クイックの同名小説の映画化だが、しっかりとラッセルの世界になっている。

ラッセルの前作『ザ・ファイト』は、もともとマーク・ウォールバーグの企画で、ラッセルが監督を引き受けたわけだが、個人的にはラッセルの作品だと思うといまいちだった。『ザ・ファイト』試写室日記で書いたように、この監督は特異な感性の持ち主なので、自分で脚本を手がけないとその個性が十二分に発揮されない。

たとえば『ハッカビーズ』には、ラッセルがひねり出した皮肉な状況のなかで、アルバートとトミーというふたりのリベラルが、正論を唱えれば唱えるほど周囲から孤立していく。来日したラッセルに筆者がインタビューしたとき、彼はその部分について以下のように答えていた(「デヴィッド・O・ラッセル・インタビュー」参照)。

僕は、上下が逆転することで言葉そのものの力が失われてしまうというジョージ・オーウェルのヴィジョンを信奉しているので、そういうとらえ方はよくわかる

ラッセルが脚本も手がけた『世界にひとつのプレイブック』には、そんな監督ならではの感性が発揮されているが、詳しいことはあらためてレビューで。

※キャストはみんな素晴らしいが、オーストラリア映画『アニマル・キングダム』で犯罪者一家のこわ~い祖母を演じて強烈な印象を残したあのジャッキー・ウィーヴァーが、見事に愛すべき母親に変身しているのに驚かされた。さすが女優。