デヴィッド・O・ラッセル 『アメリカン・ハッスル』 レビュー

Review

積み重なる「偶然」のなかに「必然」を見出す

『世界にひとつのプレイブック』に続くデヴィッド・O・ラッセル監督の新作『アメリカン・ハッスル』は、1979年にアメリカで起きた政治スキャンダル「アブスキャム事件」を題材にしている。事もあろうにFBIが詐欺師と組み、アラブの富豪が経営する投資会社をでっち上げ、おとり捜査によって汚職政治家を摘発したというのがその概要だ。

だが、この映画を楽しむうえで事実は必ずしも重要ではない。ラッセルは事件に迫ろうとしているわけではないので、実名も使っていないし、人物像も脚色されている。但し、大いに笑えるからといって単なるコメディに仕立てているわけでもない。これはラッセル流の人間観察の映画であり、自分探しの物語でもある。

これまで足がつくことなく巧妙に詐欺を繰り返してきたアーヴィンと愛人シドニーのコンビは、ついに逮捕されてしまうが、野心に燃えるFBI捜査官リッチーから、自由と引き換えに先述したようなおとり捜査の話を持ちかけられる。チームになった彼らは、作戦を実行に移すが、アーヴィンの妻ロザリンが夫とシドニーの関係に嫉妬し、思わぬ行動に出たため、予期せぬ混乱状態に陥っていく。

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今週末公開オススメ映画リスト2013/02/21+α

週刊オススメ映画リスト

今回は『世界にひとつのプレイブック』『マーサ、あるいはマーシー・メイ』の2本とおまけの『逃走車』コメントです。

『世界にひとつのプレイブック』 デヴィッド・O・ラッセル

まずは『世界にひとつのプレイブック』試写室日記をお読みください。時間がなくてまだレビューを書いていませんが、とても気に入っている作品なので、近いうちにアップするつもりです。

心配なのは、この映画が評価されるにしてもされないにしても、心を病んだ男女を主人公にした一風変わったラブコメのように安易に位置づけられてしまうことですね。

映画の背景として、たとえば、アラン・V・ホーウィッツ&ジェローム・C・ウェイクフィールドの『それは「うつ」ではない:どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由』やゲイリー・グリーンバーグの『「うつ」がこの世にある理由:作られた病の知られざる真実』、デイヴィッド・ヒーリーの『抗うつ薬の時代:うつ病治療薬の光と影』、『双極性障害の時代:マニーからバイポーラーへ』など、共通するテーマを扱った本がたくさん出版されていることの意味を考えてみる必要があるかもしれません。

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『命をつなぐバイオリン』 『世界にひとつのプレイブック』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『命をつなぐバイオリン』 マルクス・O・ローゼンミュラー

ジョン・ボインの児童文学作品を映画化したマーク・ハーマン監督の『縞模様のパジャマの少年』では、大人の世界とふたりの子供たちの視点のズレを通して、ナチズムが描き出された。フェンスを挟んで向き合うふたりの少年は、強制収容所が何なのかを知らないままに、友情を育んでいく。

ナチスが台頭する時代を背景に、ユダヤ人の少年と少女、ドイツ人の少女の友情を描く本作にもそれに通じる視点がある。導入部で明らかなように、神童といわれるユダヤ人の少年と少女は、優遇はされているものの、ナチスの侵攻以前にすでに共産党のプロパガンダに利用され、才能を搾取されている。

ナチスの支配下で3人が友情を育むことは、音楽を自分たちの手に取り戻そうとすることでもあるが、終盤に難点がある。それはあらためてレビューで書くことにしたい。

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『台北の朝、僕は恋をする』『キッズ・オールライト』『ザ・ファイター』試写

試写室日記

本日は試写を3本。

『台北の朝、僕は恋をする』 アーヴィン・チェン

アメリカに生まれ育ち、台湾を拠点に活動するアーヴィン・チェン監督作品。台北の街のなかを複数の登場人物たちが動き回り、絡み合っていく物語は、頭のなかで組み上げた構成を、実際の街や映像のなかにどう落とし込み、映画としてのリズムやダイナミズムを生み出すかが課題になる。この映画の場合は、まだ脚本を引きずっていて、映像に昇華されていないように見える。
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