『ザ・マスター』 『野蛮なやつら/SAVAGES』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『ザ・マスター』 ポール・トーマス・アンダーソン

アンダーソンのオブセッションと深く結びついた強烈なオリジナリティに圧倒される。IBDbで偶然見かけたある観客の感想がこの映画の魅力を物語っている。細かいことは忘れてしまったが、その人は、よくわからないが、すごい映画だと思うという趣旨のことを書いていた。

一般的にアメリカではやはりまずわかりやすさが求められる。だからこの映画のように、明確なストーリーではなく、複雑な内面を持つ二人の主人公のキャラクターがそのまま映画の世界になっているような作品というのは、わからないですまされかねない。ところが、わからなくてもすごいと思われるということは、尋常ではない説得力を持っているということになる。

この映画には、個人的に興味をそそられる要素がいろいろ盛り込まれている。たとえば、これは偶然だが、筆者は、『倒壊する巨塔:アルカイダと「9.11」への道』を書いたジャーナリスト、ローレンス・ライトの新作『Going Clear:Scientology,Hollywood, and the Prison of Belief』を読み出したところだった(いや、Audiobookでゲットしたので聴き出したところだったというべきか)。

本書はサイエントロジーの実態に迫るノンフィクションで、タイトルにあるように、ハリウッドとの繋がりも掘り下げられている。話は少しそれるが、導入部は若き日のポール・ハギスが勧誘されるところからはじまる。以前、ハギスの『スリーデイズ』の原稿を書いたときに、カナダ・オンタリオ州生まれのハギスが20代でハリウッドに出てきた経緯がなんとなく気になっていたのだが、その頃からすでにサイエントロジーと関わりがあったことがわかる。


『ザ・マスター』で、アンダーソンがどの程度までサイエントロジーとL・ロン・ハバードにインスパイアされて“マスター”ことランカスター・ドッドのキャラクターを創造したのかは定かではない。『Going Clear』は、まだ仕事の合間に聴きかじっただけなので、正確なことはいえないが、それでもかなり細かいところまで調べていたように思われる。

サイエントロジーとは関係ないが、『ザ・マスター』におけるふたりのキャラクター、マスターとフレディは、前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエルとH・Wの変奏になっている。そこにアメリカ的な個人主義と家族をめぐるアンダーソンのオブセッションが表れているが、詳しいことはまたレビューにて。

『野蛮なやつら』 オリヴァー・ストーン

オリヴァー・ストーン、『ウォール・ストリート』ではなんかゆるくなってしまったような気もしたのだが、やっぱりまだ元気だった。『90年代アメリカ映画100』で筆者が担当した『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の原稿では、ノーマン・メイラーが書いたヒップスターのテキストを引用し、それなりに反応もいただけたが、その精神はまだ引き継がれている。