今週末公開オススメ映画リスト2011/03/17+α

週刊オススメ映画リスト

今回は『トゥルー・グリット』、『お家をさがそう』の2本です。おまけとして『ザ・ライト―エクソシストの真実―』の短いコメントをつけました。

『トゥルー・グリット』 ジョエル&イーサン・コーエン

マティ、コグバーン、ラビーフの3人が川という境界を越えて分け入る世界は、先住民たちの土地、犯罪者たちが逃げ込む無法地帯であるだけではない。

コーエン兄弟らしさが最もよく出ているのが、ラビーフと別れたマティとコグバーンの前に、奇妙な光景や人物が出現するところだろう。まず、かなり高い木の枝に男の死体が吊るされている。コグバーンが銃でロープを切ることはたやすいはずだが、マティがわざわざ木にのぼっていき、ナイフでロープを切る。

男が吊るされた枝はマティの体重がかかっただけで、折れそうにしなり、きしむ。誰がどんな方法で、なんのためにそんな高い枝に男を吊るさなければならなかったのか。そこには道理が通らない世界がある。

それにつづいて二人の前に奇妙な人物が現われる。頭のついた熊の毛皮をすっぽりとかぶり、死体を運ぶ男。歯医者と称しているが、なんとも奇怪であり、呪医(medicine man)のような存在なのかもしれない。この世界では死体も取引されているらしい。二人はこの男に夜露をしのぐ場所を紹介され、さらに奥へと踏み出していく。

コーエン兄弟は、そんな奇妙な光景や人物を通して、この世ならぬ異界を切り拓き、神話的ともいえる物語を紡ぎだしている。

『お家をさがそう』 サム・メンデス

かつては人が家庭を築き、子供を育てるにあたって“場所性”が重要な位置を占めていたが、いまでは人と場所の繋がりは確実に失われつつある。この映画に登場するバートとヴェローナのカップルも、場所に対する意識は希薄だ。

バートと妊娠6ヵ月のヴェローナがコロラド州に住んでいるのは、バートの両親がそこに暮らし、子供が生まれたあとに何かと面倒をみてもらえると期待していたからだ。カップルはそれを理由にコロラド州に引っ越してきた。だから、(どこであるかは定かでないが)以前に住んでいた場所にも、いま住んでいる場所にも特別な愛着を持っているわけではない。

ところが、そんな彼らに予想外の出来事が起こる。孫の誕生を楽しみにしていたはずのバートの両親が、突然、ベルギーに移り住むと言い出す。その結果、彼らにはそこに住んでいる理由がなくなり、理想的な場所をさがして、アメリカ各地に兄弟や知人を訪ねてまわる旅が始まる。

カップルはコロラド州から、アリゾナ州のフェニックス、ツーソン、ウィスコンシン州のマディソン、カナダのモントリオール、フロリダ州のマイアミへと移動し、そこに暮らす理由を見つけ出そうとする。では、彼らが出会う家族は、場所性の代わりになにを基盤に家庭生活を営んでいるのか。マディソンに住むバートの幼なじみの女性は夫とともに東洋思想にかぶれ、コミュニケーションもままならない。モントリオールに住む大学時代のクラスメートの一家も、マイアミに住むバートの兄の一家も、夫婦が深刻な問題を抱え、崩壊しかけている。

そしてカップルは最後にヴェローナの出身地であるサウスカロライナを訪れる。そこには空き家になったままの実家がある。この旅の終点はふたつの意味で興味深い。

ひとつは、ヴェローナのなかにまだ故郷というもの、場所性に対する意識がわずかながら残っているということだ。映画の前半でカップルがツーソンに住むヴェローナの妹を訪ねたとき、姉妹の脳裏には、他界した両親やサウスカロライナの実家で過ごしたときの記憶がよぎっていた。

もうひとつは、その実家が南部にあるということだ。もともと南部では、伝統的に土地に対する愛着が深く、他の地域と比べて、人と土地の繋がりが残っているといえる。様々な場所を訪れ、家族や家庭を見つめてきた彼らは、この終点でそこに暮らす理由としての場所性に目覚めつつあるようにも見える。

以下はおまけのコメントです。

『ザ・ライト―エクソシストの真実―』 ミカエル・ハフストローム

正統ではないが優れたエクソシストであるルーカス神父と、信仰を失い、悪魔の存在に疑念を抱く神学生マイケルが、悪魔にとり憑かれた16歳の少女と向き合う。

筆者が少し興味をそそられたのは、マイケルが少女の状態を精神病と解釈しようとするところだ。そういう視点を突き詰めていくと、ラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』のような世界が開ける可能性もあるが、もちろんこの映画はそういう方向には進まない。