ワン・ビン 『三姉妹~雲南の子』 レビュー



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Review

劣悪な環境にも適応していく、野生的ともいえる生命力

世界の注目を集める中国の鬼才ワン・ビン監督のドキュメンタリー『三姉妹~雲南の子』では、中国国内でも最も貧しいといわれる雲南省の高地(標高3200m)にある村に暮らす10歳、6歳、4歳の三姉妹の過酷な生活が映し出される。母親はだいぶ前に家族を捨て、父親は遠方の町に出稼ぎに行っている。

この作品と4月に公開された新鋭ベン・ザイトリン監督の『ハッシュパピー バスタブ島の少女』には注目すべき共通点がある。後者は温暖化による海面上昇の影響をもろにうける南ルイジアナの低地を舞台に、ハリケーン・カトリーナの悲劇や格差による貧困といった現実を反映したファンタジーだ。

どちらの映画も苦境に追いやられた少女の姿から、政治や社会に対する批判的なメッセージを読み取れないことはない。繁栄の裏にある厳しい現実が浮き彫りにされているからだ。

だが、二人の監督の関心は明らかに別のところにある。彼らが見つめるのは、いかに劣悪な環境であっても、それに適応していく野生的ともいえる生命力だ。


特にこの『三姉妹~雲南の子』の場合は、演出のないドキュメンタリーであるだけにそれが生々しく伝わってくる。彼女たちは長い間体も洗っていない。姉が妹のシラミをとる姿は動物のようでもある。

私たちが人間を動物にたとえたときに悪い意味にとるのは、社会学が執拗に人間を動物の世界から切り離そうとしてきたからだ。しかしワン監督はそんな先入観に縛られない。進化のなかで社会を生み出し、人間中心主義によって自分たちを檻に閉じ込めてしまった私たちは、この映画を通して人間とはなにかをあらためて考えることになるだろう(このことについては、アレクサンドラ・マリヤンスキーの『社会という檻――人間性と社会進化』が参考になる)。

スペイン人の著名な古人類学者フアン・ルイス・アルスアガは、『ネアンデルタール人の首飾り』のなかで以下のように書いている。

われわれはどうして多くの生物のなかで、これほど孤立しているのだろうか。人間が地球上のほかの種とまったく交信できないことを、どのように説明するのだろう

ファンタジーである『ハッシュパピー バスタブ島の少女』の少女は、ほかの種と交信するともいえるし、『三姉妹~雲南の子』の少女にとっても身近なのは、学校で言葉を通して触れる世界ではなく、動物や自然である。

《引用文献》
●『社会という檻――人間性と社会進化』アレクサンドラ・マリヤンスキー、ジョナサン・H・ターナー 正岡寛司訳(明石書店、2009年)
●『ネアンデルタール人の首飾り』フアン・ルイス・アルスアガ 藤野邦夫訳(新評論、2008年)