ナ・ホンジン 『哀しき獣』 レビュー



  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Review

社会的な視点と壮絶なアクションが根源的な痛みを炙り出す

ナ・ホンジンの『哀しき獣』では前作『チェイサー』以上に壮絶な死闘が繰り広げられるが、その世界に入り込むためには、中国の朝鮮族のことを少し頭に入れておくべきだろう。この物語には、中国にあって北朝鮮、ロシアと国境を接する延辺朝鮮族自治州と韓国の関係が反映されている。

中国朝鮮族と韓国は、1992年に中国と韓国の間で国交が結ばれたことをきっかけに経済的に急接近する。そして韓国との交易が延辺地区を潤すかに思われた。だが、韓国資本への一方的な依存は、アジア金融危機による打撃、あるいは差別や詐欺などの被害を生み出すことにもなった。それが『哀しき獣』の背景だ。

物語は延辺朝鮮族自治区・延吉から始まる。タクシー運転手のグナムは、韓国に出稼ぎに行った妻からの音信が途絶え、借金で首が回らなくなっている。そんな彼に、延吉を仕切る犬商人ミョンが、韓国に行って人を殺す仕事を持ちかける。グナムは、妻に会えるかもしれないと思い、それを引き受けてしまうが、黄海(映画の原題)の向こうには予想もしない悪夢が待ち受けている。


ナ・ホンジンの映画はなぜ強烈な印象を残すのか。まず注目しなければならないのは、社会的な視点と過激なアクションが有機的に結びつき、主人公が奇妙な宙吊り状態に追いやられることだ。

たとえば、『チェイサー』の物語のヒントになったのは、実際に起こった二つの事件、イラクでの韓国人人質殺害事件と国内の連続殺人事件だった。ナ・ホンジンが関心を持ったのは、殺人が国家や政治と深く関わっていたり、あるいは犠牲者が風俗で生計を立てる女性だったりすることで、個人の命の重さが左右されることだろう。

だからこの映画では、政治的な圧力や偏見が捜査の妨げになる。デリヘルの経営者で、日常に埋没した主人公ジュンホも、気にかけていたのは手付金であって、店の女たちのことではなかった。しかしそんな彼は、冷酷な殺人犯と遭遇し、女がまだ生きているのを知ることで、突然、個人として現実と向き合うことになる。

それが奇妙な宙吊り状態だ。事態が切迫しているため、彼は考える間もなく本能的に行動する。行動しているうちに、偏見は消え去り、政治的な圧力も及ばないほどに責任を一身に背負い、さらにこれまでの怠惰な生活のなかで失われていた感情に目覚めることにもなる。

ナ・ホンジンが目指しているのは、アクションを極めることでも、ドラマに社会性を打ち出すことでもない。彼の目的は、日常に埋没したひとりの人間が、気づかぬうちにその心の奥に埋もれた感情までさらけ出しているような状況を生み出し、根源的な痛みを炙り出すことにある。

『哀しき獣』の主人公グナムは延吉で、仕事で稼いだ金を麻雀ですり、連絡のない妻への怒りを酒で紛らす生活を送っていた。そんな彼は、右も左もわからない韓国のなかで、密入国した朝鮮族の殺し屋というレッテルを貼られ、必死の逃亡を余儀なくされる。もちろん彼には考える余裕などなく、本能的に行動し、活路を見出そうとする。

これまで延吉の社会に、そして怠惰な日常に埋没していたグナムは、突然、ひとりの朝鮮族として炙り出される。確かに彼は朝鮮族ではある。だが、汚名まで着せられてサバイバルしようとすることが、彼の内面にわだかまっていた雑念や屈折をも払拭していく。そして、深い喪失感とともに心の奥底にあった感情が溢れ出してくる。

ディアスポラのテーマも盛り込み、根源的な痛みを炙り出すそんなナ・ホンジン独自の話術が、この映画を『チェイサー』以上に忘れがたいものにするのだ。

《参照文献》
●『中国朝鮮族の移住・家族・エスニシティ』佐々木衞、方鎮珠・編(東方書店、2001年)

(初出:「CDジャーナル」2011年12月号、加筆)

●amazon.co.jpへ