『ある画家の数奇な運命』|ニューズウィーク日本版のコラム「映画の境界線」記事

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現代美術の巨匠リヒターの人生とドイツ戦後史に新たな光をあてる『ある画家の数奇な運命』

ニューズウィーク日本版のコラム「映画の境界線」の2020年10月1日更新記事で、『善き人のためのソナタ』のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の新作『ある画家の数奇な運命』(18)を取り上げました。

ドナースマルク監督が巨匠ゲルハルト・リヒターの人生と作品にインスパイアされてつくりあげた3時間を超える長編です。ドナースマルクがリヒターの人生に興味を持つきっかけは、彼の妻の父親が、ナチスの親衛隊で安楽死政策の加害者だったと知ったこと。リヒターの叔母はその安楽死政策によってナチスに殺害されました。リヒターに企画を持ちかけたドナースマルクは、「人物の名前は変えて、映画のためだけにオリジナルに制作された絵画を使い、内容は必要に応じて自由とするが、映画の中で何が真実かを絶対に明かさない」という条件で、映画化を許されました。

本作では、ナチス政権下のドイツ、戦後の東ドイツ、60年代の西ドイツを背景として、主人公クルト、叔母のエリザベト、クルトの義父となるゼーバントの3者を軸に物語が展開していきます。記事では、そんな物語と、リヒターが65年にフォト・ペインティングの作品として発表した<マリアンネ叔母さん>と<ハイデ氏>との繋がりに注目しています。その繋がりを踏まえると、ドナースマルクが、いかにその2作品にこだわり、リヒターの過去の重要な部分を独自の視点で掘り下げ、緻密な構成ですべてを絵画に集約しているのかが見えてくるのではないかと思います。

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現代美術の巨匠リヒターの人生とドイツ戦後史に新たな光をあてる『ある画家の数奇な運命』

2020年10月2日(金)TOHOシネマズ シャンテほかにて全国ロードショー

ケイト・ショートランド 『さよなら、アドルフ』 レビュー

Review

ナチス・ドイツ時代の少女の物語に自分の世界観を反映して

■デビュー作から8年の歳月を経て■

オーストラリアの女性監督ケイト・ショートランドにとって2作目となる『さよなら、アドルフ』の舞台は1945年春、敗戦直後のドイツだ。ナチス親衛隊だった父と母を連合軍に拘束された14歳の少女ローレは、妹のリーゼル、双子の弟のギュンターとユルゲン、まだ赤ん坊のペーターを従え、900キロ離れた北部のハンブルクにある祖母の家を目指し、荒廃した国内を縦断していく。

ナチスの関係者はたとえ子供であっても冷たくあしらわれる。そんななか、飢えや病で窮地に立つ彼らに救いの手を差し伸べたのは、トーマスというユダヤ人の青年だった。

ショートランド監督は2004年に発表したデビュー作『15歳のダイアリー』でオーストラリア映画協会賞を総なめにした。

この映画では、母親の恋人を誘惑しているところを見つかり、家を飛び出した15歳の少女ハイジが、当てもなくたどり着いたスキーリゾート地で自活し、傷つきながら成長を遂げていく。本格的に映画作りを学ぶ前に大学でファインアートと歴史の勉強をしていたショートランドは、ナン・ゴールディンやゲルハルト・リヒター、ビル・ヘンソンらの作品を意識し、手持ちカメラを駆使した映像によって、孤独と欲望の間を不安定に揺れる少女の世界を鮮やかに浮き彫りにしてみせた。

このデビュー作と本作には共通点がある。『15歳のダイアリー』の冒頭では、風に揺れる洗濯物の隙間に少女の姿が垣間見られ、『さよなら、アドルフ』では、髪を洗って窓辺に立つ少女の後姿がレースのカーテンの向こうに浮かび上がる。ヒロインたちのそんな曖昧な輪郭は、彼女たちが現実の真っ只中に放り出されることによって明確にされていく。どちらの作品でも少女のイニシエーション(通過儀礼)が独自の美学で描き出される。

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