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トピックス

笑顔がなんとも素敵なこの老人からいま私たちが学べることは決して少なくない

池谷薫監督の新作『先祖になる』は、筆者の心の深いところに響く作品でした。それだけにいろいろ感じるものがあり、ブログにアップしたレビューは長めのテキストになりました。ネットではやはり長文のテキストは敬遠されがちなので、正直、それほど多くの人の目にとまるとは思っていませんでした。

ところが、ベニチガヤさんのような常連さんだけではなく、はじめて来られたと思われる方々が、ときに本文の引用なども交えていろいろツイートしてくださり、PVがどんどん上昇し、びっくりしました。

その後、『先祖になる』公式サイトのfacebookに連動した最新情報でも取り上げていただき、嬉しかったのですが、同時に少々不安にもなりました。冒頭に書いたように、とにかく長文のレビューですから、このレビュー情報だけが浮いてしまうのではと思ったのですが、まさかいいねが3ケタに迫り、コメントまでいただき、またも面食らいました。


この映画はひとりでも多くの人に観ていただきたいと思っています。それで、このレビューを読まれて映画を観たくなる人がいらっしゃるのだとしたら、やはり積極的にアピールせねばという気持ちになりました。このレビューを読まれて、なにか感じるものがありましたら、ぜひ共有のほどよろしくお願いいたします。

『先祖になる』レビュー

レビューの最後に柳田国男の『先祖の話』の自序を引用したことについて、ちょっとだけ付け足します。ひとつはもちろん、柳田が日本の敗戦色濃い時期にその先の未来を憂慮してこれを書いていたことと、3・11以後がダブるように感じたということがあります。

しかしもうひとつ、政権が変わったということも少し意識しました。いまは経済だけに関心が集まっていますが。

柳田がいうような、大きな忘却が進んで、この映画から浮かび上がるような信仰が忘れ去られれば、残るのは明治以降の神道ということになり、いつしかそれだけが連綿と受け継がれた固有の信仰だったというような錯覚に陥らないとも限りません。

直志翁から私たちが学べることは決して少なくないように思います。