『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』 想田和弘

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瞬間と向き合い観察すること、瞬間を受け入れて生きること

想田和弘監督の前の著書『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』では、観察映画第2弾となる『精神』(2008)誕生の背景や作品に対する様々な反応が綴られていた。新しい著書『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』では、現在公開中の観察映画最新作『Peace』(2010)の製作過程を振り返りつつ、「ドキュメンタリーとは何か」というテーマが掘り下げられていく。

しかし、本書のなかでその問いに対する答えが出るわけではない。たとえば、テレビのドキュメンタリーの現場で想田監督が体験したことやフレデリック・ワイズマンの影響についての記述からは、「観察映画」という独自の発想とスタイルが形成される背景が見えてくる。だが、それは答えではない。本書は、答えが見えないからこそ、『Peace』のような作品が生まれるのだということを巧みに物語っている。

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内田伸輝 『ふゆの獣』 レビュー



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「時間」と「瞬間」への視点が恋愛映画を超えた地平を切り拓く

内田伸輝監督の『ふゆの獣』の登場人物は、4人の男女だ。ユカコは同僚のシゲヒサと付き合っているが、最近、関係がぎくしゃくしている。シゲヒサの態度がぎこちない。浮気をしているのかもしれない。ノボルは同僚のサエコに好意を持っている。思い切って告白してみるが、彼女には他に好きな人がいた。それはユカコと付き合っているはずのシゲさんだった。

この映画では、4人の主人公が、複雑に絡み合っていく。内田監督は脚本に頼らず、即興を中心にした演技を長回しで撮影し、緻密に構成している。

この映画の印象的な場面やドラマの流れについて考えてみるとき、筆者がどうしても引用したくなるのが、哲学者マーク・ローランズが書いた『哲学者とオオカミ』だ。ローランズは本書で、オオカミとともに暮らした経験を通して、人間であることの意味を掘り下げている。

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『哲学者とオオカミ――愛・死・幸福についてのレッスン』 マーク・ローランズ

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オオカミという他者を通して人間とは何なのかを考察する

想田和弘監督の『Peace ピース』(7月16日公開予定)の試写を観たときに最初に思い出したのがこの本のことだった。そこでぱらぱらと読み返してみた。

最初に読んだときも引き込まれたが、今では著者の言葉がもっと身近に感じられる。それは、『ブンミおじさんの森』、『アンチクライスト』、『四つのいのち』、『4月の涙』(野生のオオカミが出てくる場面がある)、『蜂蜜』、『エッセンシャル・キリング』といった作品を通して、人間と動物の関係に以前よりも鋭敏になっているからだろう。

マーク・ローランズはウェールズ生まれの哲学者で、本書では、ブレニンという名のオオカミと10年以上に渡っていっしょに暮らした経験を通して、ブレニンについて語るだけではなく、人間であることが何を意味するのかについても語っている。

↓ この人がローランズだが、いっしょにいるのはもちろんブレニンではない。ブレニンは、各地の大学で教えるローランズとともに合衆国、アイルランド、イングランド、フランスと渡り歩き、フランスで死んだ。ローランズはその後マイアミに移り、この映像はそこで撮影したものだ。

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