ポール・トーマス・アンダーソン 『ザ・マスター』 レビュー

Review

アメリカ50年代における組織と個人の相克を浮き彫りにする

ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』では、50年代のアメリカを背景にランカスター・ドッドとフレディ・クエルというふたりの人物の関係が描き出される。彼らが生きる50年代とはどんな世界だったのか。デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』の目次が物語るように、この時代は様々な側面を持っているが、それらを突き詰めれば「組織」と「個人」に集約することができるだろう。

たとえば、ウィリアム・H・ホワイトの『組織のなかの人間』では、彼が〝オーガニゼーション・マン〟と呼ぶ人々の価値観を通して50年代の社会の変化が浮き彫りにされている。オーガニゼーション・マンとは「組織の生活に忠誠を誓って、精神的にも肉体的にも、家郷を見捨てたわが中産階級の人々」だ。

戦後の経済的な発展によって中流層が膨張すると同時に、企業が全国レベルで組織化されていく。そこでアメリカ社会は、家庭の結びつきや地域社会の縁故よりも学歴がものをいう世界へと変化し、組織に順応するホワイトカラーが増大する。彼らは故郷を捨て、組織に命じられるままに積極的に移動していく。


さらに、政治的にも個人は国家という巨大な組織に組み込まれ、抑圧されていた。ステファニー・クーンツの『家族という神話』では、以下のように説明されている。

冷戦下の心理的不安感が、家庭生活におけるセクシュアリティの強化や商業主義社会に対する不安と混じり合った結果、ある専門家がジョージ・F・ケナンの対ソ封じ込め政策の家庭版と呼ぶ状況を生み出したのである。絶えず警戒を怠らない母親たちと「ノーマルな」家庭とが、国家転覆を企む者への防衛の「最前線」ということになり、反共主義者たちは、ノーマルではない家庭や性行動を国家反逆を目的とした犯罪とみなした。FBIやその他の政府機関が、破壊活動分子の調査という名目で、前例のない国家による個人のプライバシーの侵害を行った

『ザ・マスター』のドラマは、そんな組織と個人の関係を踏まえてみると、より印象深いものになるはずだ。この映画でまず注目しなければならないのは、アンダーソンがL・ロン・ハバードにインスパイアされてランカスターという人物を創造していることだ。ハバードの人生のなかでも彼が特に関心を持っていたのは、サイエントロジー教会を設立するまでの過程だといえる。

ハバードは1950年に『ダイアネティックス』を出版し、独自の心理療法を解説したこの本はベストセラーとなった。しかしその時点では、療法や理論が宗教に関わりがあるものであるとは主張していなかった。その後、徐々に宗教的な要素を取り入れるようになり、53年にサイエントロジー教会を設立する。

そんな変化は当然、反発や疑問も生むが、結果として多くの信者を獲得する。50年代は、既成の教会信者の増加率が、人口のそれを上回る宗教の時代でもあり、ハバードの教会もそんな時代の波に乗ることになったわけだ。

アンダーソンの想像力を刺激したのは、明らかにこの科学に立脚していた人間が宗教へとシフトし、大きな力を持つようになるというエピソードだ。彼はそれを自身のテーマである家族や擬似的な父子の関係と結びつけられると考えた。そこで、ハバードをモデルにしたランカスターと、フレディというもうひとりの人物が生み出され、このエピソードが再構築される。

ちなみに、プレスに収められたインタビューで彼は以下のように語っている。「僕はランカスターを、彼が最初に本を出した頃からマスターとして有名になり成功するまで、5つのステップに分けて考えた。その過程でふたりの関係も変わっていく」

ランカスターは、「ザ・コーズ」という集団の指導者ではなく、個人としてフレディを受け入れ、交流を深めていく。フレディが作る怪しげな密造酒を媒介にした親密な関係がそれを物語る。だからこそ精神を病んだフレディに対するカウンセリングも効果を上げる。

しかし、やがてランカスターの理論や著作における表現が次第に変化し、支援者や関係者から疑問や批判の声が上がるようになる。フレディが暴力によってそうした声を封じていくのは、父親や家族を守るためだといえる。だが実際にはふたりの関係は、個人と個人のそれではなくなりつつあり、ランカスターが科学から神秘的、宗教的な世界にシフトしていくほどに溝が深まっていく。そして彼らがロンドンで再会するときには、かつての家族は組織と個人の間で引き裂かれている。

そんなランカスターとフレディの関係には、明らかにアンダーソンの前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』におけるダニエルとH・Wのそれが引き継がれている。石油の採掘は単独では難しい。そこでダニエルも他人と組み、ある事故をきっかけに息子H・Wを得る。

ダニエルはそんな息子に対して両義的な感情を抱く。一方では、自分と息子を結ぶ石油が血に変わることを望んでいる。しかしその一方では息子を利用している。家族がパートナーであれば、投資や土地の買収の交渉に際して信頼を得られるからだ。

『ザ・マスター』では、カウンセリングや密造酒が血となるかのように見える。だが、映画の後半では、ランカスターがフレディに施すカウンセリングは、一対一の関係を深めるものではなく、信者を獲得するためのある種の見せ物と化している。

フレディがもし故郷に暮らす恋人と結ばれていたら、おそらくオーガニゼーション・マンのひとりになることを余儀なくされていただろう。その代わりにフレディは家族を見出すが、彼が守ろうとしたものはいつしか組織に変貌を遂げている。この映画では、50年代における組織と個人の相克が独自の表現で見事に浮き彫りにされている。

《引用/参考文献》
●『組織のなかの人間――オーガニゼーション・マン』ウィリアム・H・ホワイト 岡部慶三、藤永保、辻村明、佐田一彦共訳(東京創元社、1959年)
●『家族という神話――アメリカン・ファミリーの夢と現実』ステファニー・クーンツ 岡村ひとみ訳(筑摩書房、1998年)
●『The Church of Scientology: A History of a New Religion』Hugh B. Urban (Princeton University Press, 2011)

(初出:「キネマ旬報」2013年4月上旬号、若干の加筆)