ウルリヒ・ザイドル 『パラダイス:愛/神/希望』3部作 レビュー

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現実の世界では得られないもの

オーストリアの鬼才ウルリヒ・ザイドル監督は、まず90年代に一連のドキュメンタリー作品で異彩を放ち、新しい世紀に入った頃から次第に劇映画に重心を移すようになった。但し、ドキュメンタリーであれ劇映画であれ、タブーを恐れない挑発的な表現で、均質化、標準化された社会や人間に揺さぶりをかけ、地獄の底までとことんリアルを追求するような姿勢に変わりはない。

「パラダイス3部作」はそんなザイドルの新作だ。この3部作は当初、ひとつの長大な物語として構想されていたという。だからそれぞれのヒロインには明確な繋がりがある。

『パラダイス:愛』では、ウィーンで自閉症患者のヘルパーとして働く50代のシングルマザー、テレサが、一人娘のメラニーを姉アンナ・マリアの家に預け、ケニアの美しいビーチリゾートでヴァカンスを過ごし、セックス観光にはまっていく。『パラダイス:神』では、レントゲン技師として働く敬虔なカトリック教徒のアンナ・マリアが、夏休みの日々を移民への布教活動、祈祷会、そして何よりも人々の不貞の罪を背負って自らの身体を鞭打つことに費やす。『パラダイス:希望』では、テレサの13歳の娘メラニーが、人里離れた山奥で行われる夏休みの青少年向けダイエット合宿に参加し、父親ほどに年齢差のある合宿所の医師に初めて恋をする。

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ミヒャエル・ハネケ 『愛、アムール』 レビュー

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“時間の芸術”の王国を去る――ハネケの厳格さと豊かな想像力が集約された美しい結末

ミヒャエル・ハネケの新作『愛、アムール』の主人公であるジョルジュとアンヌは、ともに音楽家の老夫婦だ。ふたりはときに教え子たちのリサイタルに足を運び、音楽を引き継いだ娘夫婦や孫の成長を見守り、悠々自適の老後を過ごしている。

だが、ある日突然、アンヌが病の発作に見舞われ、手術も失敗に終わる。彼女は不自由な身体になり、着実に衰弱していく。ジョルジュは、「二度と病院に戻さないで」というアンヌの願いを聞き入れ、妻を献身的に支えようとする。

この映画には注目すべき点がふたつある。ハネケ作品の登場人物は、制度やそれに類する見えない力に規定されている。

たとえば、『ピアニスト』(01)のヒロイン、ピアノ教授のエリカの場合は、クラシック音楽の伝統や制度だ。ハネケはそこに男性優位主義が潜んでいると見る。だから彼女は精神的には男であり、その倒錯的な行動からわかるように欲望を規定されている。

『隠された記憶』
(05)の主人公、書評番組のキャスター、ジョルジュの場合は、とりあえず“編集”といえる。この映画では、番組のセットと彼の自宅の居間がダブって見える。彼の人生もまた、番組と同じように巧妙に編集され、それが辛い記憶の忘却を可能にしている。

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今週末公開オススメ映画リスト2013/03/07

週刊オススメ映画リスト

今回は『メッセンジャー』『愛、アムール』『魔女と呼ばれた少女』『野蛮なやつら/SAVAGES』(順不同)の4本です。

『メッセンジャー』 オーレン・ムーヴァーマン

今回のリストのなかで、この作品についてはノーマークという人が少なくないのではないでしょうか。2009年製作の作品ですが、いろいろ賞にも輝いていますし、正直、なぜすぐに公開されなかったのか不思議に思いました。

イラク戦争という題材については、『告発のとき』『ハート・ロッカー』『グリーン・ゾーン』『バビロンの陽光』『フェア・ゲーム』『ルート・アイリッシュ』など、様々な監督が様々な切り口から描いていますが、これはその盲点をつくような作品といっていいでしょう。

戦死者の遺族に訃報を伝える任務を負うメッセンジャーの世界が描かれています。ベン・フォスターとウディ・ハレルソンがメッセンジャーに、サマンサ・モートンが夫を喪った母親に扮しています。出番は多くないですが、スティーヴ・ブシェミも息子を喪った父親の役で出てきます。

「CDジャーナル」2013年3月号の新作映画のページでレビューを書いています。こういう映画はもっと注目されていいと思います。

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『ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀』 『愛、アムール』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀』 フィリップ・カーデルバッハ

1937年に起こった巨大飛行船ヒンデンブルグ号の爆発炎上事故を題材にしたドイツ映画。もとはテレビ映画として製作された作品で、グレタ・スカッキやステイシー・キーチなども出演している。もともと180分だったものを110分に刈り込んでいるので、いきなりかと思うところもないではないが、非常に手堅い演出で破綻はしていない。

70年代に同じ事故を題材にしたロバート・ワイズ監督の『ヒンデンブルグ』という作品があった。詳しいことは覚えていないが、飛行船に爆弾を仕掛ける目的は“反ナチス”だった。この映画の場合には、グローバリゼーションの時代を意識したような経済に関わる背景が盛り込まれている。

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ニコラウス・ゲイハルター 『プリピャチ』 レビュー

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人類の未来をめぐる大きな物語の礎となるような日常の断片

ニコラウス・ゲイハルター監督の『プリピャチ』(99)では、チェルノブイリ原発事故から12年が経過した時点で、立ち入りが禁じられた“ゾーン”に暮らしていたり、あるいはそこで働いている人々の姿が映し出される。この映画から見えてくる世界の意味を明らかにするためには、ゾーンの外側に広がる世界と内側の世界で、どのように12年という時間が流れていたのかを確認しておくべきだろう。

この映画の製作年である99年から振り返ってみたとき、最も大きな事件は、ソ連の崩壊と冷戦の終結だといえる。そこから世界は変わった。ポストモダンという言葉がもてはやされ、歴史や人類の普遍の未来を語る大きな物語は終わりを告げ、ひとつの共通する世界が失われた。そういう認識が浸透していった。

政治学者のジョン・グレイは『グローバリズムという妄想』のなかで、後期近代資本主義は「人間を断片化された現実と意味のない選択の氾濫の中に放り出す」と書いている。確かに、情報の洪水のなかで近代の確実性は破壊され、大きな物語は失われたかに見えた。

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