『おとなのけんか』 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『おとなのけんか』 ロマン・ポランスキー

フランスの劇作家ヤスミナ・レザの戯曲「God of Carnage」(日本上演タイトル「大人は、かく戦えり」)の映画化。息子同士の喧嘩に始末をつけるためにアパートの一室に集まった二組の夫婦。なごやかな雰囲気のなかで和解にいたると思いきや、ささいな出来事がきっかけで次々と本音が飛び出し、壮絶な舌戦へと発展していく。

ニューヨークのブルックリンを舞台にしているということだけで、そこにポランスキーが含みを持たせているように思えて、にんまりさせられる。

ポランスキーは30年前の淫行事件があるためアメリカに入国できない。だから舞台がアメリカに設定されていてもアメリカでは撮っていない、というのは前作の『ゴーストライター』も同じだが、今回の題材はちょっと事情が違う。


ヤスミナ・レザの戯曲はもともとパリを舞台にしていた。ブロードウェイ公演で舞台がNYに置き換えられたこともあるようだが、この映画は別にそれに倣っているわけではない。わざわざ映画のためにレザとポランスキー自身が、パリからブルックリンに舞台を変えた脚本を書き、パリ郊外にあるサウンド・ステージにブルックリンのアパートを再現したセットを作って撮っている。

しかも、ポランスキーにとってこの映画はスイスで釈放されてから最初の作品になる。スイスの裁判所が身柄のアメリカへの移送を拒否したおかげで釈放にいたったわけだが、そのことを踏まえれば含みを持たせていると見るのが自然であり、これをパリで撮っているポランスキーの姿を想像しただけで可笑しくなる。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』 スティーヴン・ダルドリー

ジョナサン・サフラン・フォアの同名小説の映画化。原作では、第二次世界大戦中のドレスデン大空襲という軸もあり、物語が重層的に綴られていくが、映画では、9・11と主人公の少年の視点に絞り込まれている。

詳しいことはあらためて書くつもりだが、ポイントになりそうなことをひとつ。マックス・フォン・シドーが演じる“間借り人”は、しゃべることができない。そんな彼の両方の手のひらには、それぞれに「Yes」と「No」の文字が刻み込まれている。彼はその手のひらを見せることで、質問に答える。

筆者は『愛を読むひと』のレビューで、スティーヴン・ダルドリー監督の作品は、『リトル・ダンサー』も『めぐりあう時間たち』も『愛を読むひと』も、二者択一を余儀なくされるような厳しい状況のなかで、第三の道を切り拓いていく物語になっているというようなことを書いた。

この新作でも間借り人は少年の質問に対して、「Yes」か「No」でしか答えようがないが、少年は最終的に第三の道を切り開いていく。そんなところにもダルドリーの世界を垣間見ることができる。

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