『幸せへのキセキ』 『少年は残酷な弓を射る』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『幸せへのキセキ』 キャメロン・クロウ

原作は、イギリス人のジャーナリスト、ベンジャミン・ミーが書いた『幸せへのキセキ~動物園を買った家族の物語』(興陽館刊)。著者とその家族が、リスクを背負って荒廃した動物園を買い取り、動物たちを救い、喪失を乗り越えて新たな生活に踏み出していく実話だ。

これまでずっとオリジナルの脚本で作品を作ってきたキャメロン・クロウにとっては、はじめての原作モノということになるが、プロダクション・ノートに個人的に非常に興味をそそられる記述があった。

クロウは、売れっ子のマット・デイモンにベンジャミン役をオファーするにあたって、「脚本と一緒に、1時間近い音楽のセレクションと、『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』(83)のソフトを送る」というユニークな方法をとったというのだ。


以前アップした「80年代イギリス映画を振り返る その一」でも触れているように、筆者はビル・フォーサイスの『ローカル・ヒーロー』にかなりの愛着がある。プレス資料に目を通したのは帰宅してからだったが、あらためて映画を振り返ってみるといろいろ頷けてくる。

『ローカル・ヒーロー』で、用地買収のために主人公が訪れるスコットランドの田舎町のちょっと風変わりな住人たちが、この映画では、ベンジャミンが購入した動物園の飼育員チーム(確かに風変わりな連中ばかり)で、足に水かきのある女性研究員が、こちらでは飼育員チームのチーフであるケリー(スカーレット・ヨハンソン)で、マーク・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)のサントラが、ヨンシー(シガー・ロス)のサントラということになる。ヨンシーのスコアの他に、ちょっと流れるボン・イヴェールも印象的だった。

もちろんそこまで意識しているわけではないはずだが、確かに『ローカル・ヒーロー』に通じるほのぼのとした空気を感じる。実は筆者は、映画を観ているときには、同じく80年代に作られた別の映画のことを連想していたのだが、それはこの映画のレビューに書くことにしたい。

『少年は残酷な弓を射る』 リン・ラムジー

女性作家ライオネル・シュライバーの問題作『We Need to Talk About Kevin』(03)を、『ボクと空と麦畑』、『モーヴァン』のリン・ラムジー監督が映画化(ちなみに映画の原題は原作と同じである)。

すでに海外で高く評価されている作品であり、確かにティルダ・スウィントンの演技には鬼気迫るものがあり、若手注目株のエズラ・ミラーも妖しく危険な雰囲気を漂わせ、ジョン・C・ライリーも狙い通りの楽観主義的父親像を体現している。ヒロインから見た世界、彼女の脳裏に刻まれた記憶というアプローチも興味深い。徹底的に赤にこだわった映像は、異様なまでの緊張をはらみ、強烈なインパクトを生み出していく。

しかしそれでも筆者はこの映画の世界に引き込まれることがなかった。その原因は、救いがなく後味が悪いというような単純なことではない。なにか欠けているものがあるため、表現の統一性が崩れているように感じる。

筆者は原作を読んでいないが、直感的に感じるのは、原作者ライオネル・シュライバーと監督リン・ラムジーの視点や感覚がずれているのではないかということだ。

ライオネル・シュライバーはアメリカ南部の生まれで、おそらくはアメリカやアメリカ人になんらかの違和感を覚え、名前を変えたり、アメリカの外に居場所を求め、ロンドンとニューヨークを行き来する生活を送っている。一方、イギリス、グラスゴー生まれのリン・ラムジーは、今回はじめてアメリカ(コネチカット州スタンフォード)で撮影を行った。

その違いが映画の表現の統一性に影響を及ぼしているのではないか。筆者は、この物語の背後には、ジョイス・キャロル・オーツが繰り返し描くような、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフに隠された見えない罠があるように思えるが、映像はそれとは違うイメージを強調している。いずれ考えがまとまったらレビューを書くことにしたい。