ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ 『少年と自転車』 レビュー

Review

必死にしがみつく少年、誘惑の森、そして媒介としての自転車

カンヌ国際映画祭グランプリを受賞したダルデンヌ兄弟の新作『少年と自転車』(11)では、児童養護施設で暮らす少年シリルと美容院を経営するサマンサとの交流が描かれる。

間もなく12歳になるシリルは、彼を施設に預けた父親とまたいっしょに暮らすことを夢見ていたが、団地に戻ってみると父親はなにも告げずに転居していた。そのときサマンサと出会い、親切にされた彼は、週末を彼女の家で過ごすようになる。

シリルはその週末を使って父親を探し当てるが、戸惑う父親から突き放されてしまう。それを目の当たりにしたサマンサは、真剣にシリルの面倒をみるようになる。だが、かつて同じ施設にいた不良少年ウェスが、彼を巧みに丸め込み、利用しようとする。


『少年と自転車』は、ダルデンヌ兄弟にとって『ロルナの祈り』(08)につづく作品だが、これを観ながらその前作のことを思い出す人はまずいないだろう。国籍の売買や偽装結婚、麻薬中毒などを扱った『ロルナの祈り』とこの新作では、人物や設定がまったく違うからだ。しかし筆者は、『ロルナの祈り』を思い浮かべた。物語が違っていても、その独特の表現、あるいはそこに秘められた兄弟の関心は引き継がれている。

ひとつは、必死にしがみつく動作だ。『ロルナの祈り』のヒロイン、ロルナは、ベルギーの国籍を取得するために麻薬中毒のクローディと偽装結婚した。彼女には同郷の恋人がいて、クローディは用済みになったらブローカーに始末される。そんな状況で、クローディを突き放していたロルナは、なぜ彼を受け入れ、命を救おうとさえするようになるのか。

それはわからない、という揺るぎない前提で映画を撮れるところがダルデンヌ兄弟の強みだ。彼らは、同情が生まれ、それが愛情に変わりというような物語を映像でなぞるようなことは絶対にしない。ただ、そこでふたりの間に起こることを映像でとらえようとするだけだ。

禁断症状に苦しむクローディが、必死にロルナにしがみつき、離そうとしないときに、彼女のなかでなにかが起こり、彼女を変えていく。そして、我を忘れたクローディが再び麻薬に手を伸ばそうとしたときには、今度はロルナの方から彼を強く抱きしめる。私たちは、そこで起こっていることを言葉に置き換えて理解するのではなく、ただ感じ取るしかない。

同じように『少年と自転車』でも、シリルとサマンサの間になにかが起こる。施設から学校に行くふりをして抜け出し、団地に戻ったシリルは、連れ戻しにきた先生を振り切り、一階の診療所に逃げ込み、待合室にいた女性に必死にしがみつき、我が家のなかに父親が買ってくれた自転車があるはずだと言って抵抗する。

その待合室の女性こそがサマンサであり、見知らぬ少年が凄まじい力でしがみついてきて、離れようとしないとき、彼女のなかでは確かになにかが起こっている。そして、シリルが父親から完全に見放されたときには、今度は彼女が少年を抱きしめる。そんな彼女は、恋人から二者択一を迫られたとき、シリルを選ぶ。

それから、森のことも思い出さなければならない。詳しい説明は省くが、『ロルナの祈り』の最後で、ロルナは森に逃げ込み、小屋で火をおこし、暖をとる。この部分は、それまでのドラマとは完全に空気が変わり、まるでおとぎ話の世界に紛れ込んだような印象を与える。

それはダルデンヌ兄弟にしては珍しい表現だったが、『少年と自転車』では、森のイメージがさらに膨らませられ、その空間が象徴的な意味を持つ(ちなみに森のロルナを際立たせていたのは彼女が履いている赤いパンツだったが、シリルの場合も赤いTシャツやジャージが彼を際立たせる)。

この映画の森は、サマンサの目が届かない世界として存在している。シリルはこの森のなかで、感情や暴力性を爆発させ、不良少年ウェスに誘惑され、命の危険にもさらされる。そうした出来事には、シリルの変化が示唆されてもいる。

ウェスの仲間に自転車を盗まれたシリルは、その不良少年を追って森に入り、木に登り、彼を打ちのめそうとする。ところが終盤では、ある事情で追われるシリルが、森に入って、木の上に逃げようとする。そんな変化を経て、彼は自分で森から出てくる。

そして最後が自転車だ。これは表現が引き継がれているというほどのものではないが、個人的には繋がりのひとつに加えておきたい。ロルナとクローディがささやかな希望を見出したとき、クローディは自転車を購入する。自転車で走り続けていれば、麻薬の誘惑から逃れられると思うからだ。それは小さなエピソードに過ぎないが、そのときの彼にとっては、自転車が生命線になっているといえないこともない。

『少年と自転車』では、最初から最後まで自転車が重要な位置を占め、シリルの生命線になっている。シリルはサマンサにしがみつきながら、自転車に対する執着を吐露する。そのとき、彼の自転車への思いとしがみつく力は深く結びついている。

実は父親によって売り払われていた自転車を買い戻し、施設に届けるのはサマンサであり、ふたりの関係は自転車を媒介として深まる。だが、シリルはその時点では戻ってきた自転車を、異なる媒介として受け止めている。その自転車は、父親と再び暮らすことができるという幻想を象徴しているからだ。

そこで、幻想を拭い去るために必要とされるのが森だ。シリルは自転車によって森に導かれ、過ちを犯し、幻想が崩れ去る痛みを味わい、本当の意味で自転車を取り戻す。明るい陽射しが降り注ぐ川辺で、シリルとサマンサが自転車を交換する光景にそれが表われている。