クロード・シャブロル 『刑事ベラミー』 レビュー

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「目に見えぬ別の物語が必ずある」――W・H・オーデン

クロード・シャブロル監督の遺作『刑事ベラミー』(09)の主人公は、ジェラール・ドパルデュー扮するベラミー警視で、映画では三面記事をヒントにした保険金詐欺事件が描かれる。だが、この主人公が公務で事件の捜査に乗り出すわけではない。

ベラミーは妻のフランソワーズとともに彼女の出身地であるセートで休暇を過ごしている。そんな彼に事件に深く関わる男ノエルが接触してくる。テレビでニュースを見ていた警視が、事件に関心を持っていても不思議はないが、あくまで事件の方が彼のプライベートな領域に転がり込んでくるのだ。

では、ノエルはなぜベラミーを選んだのか。ベラミーは回顧録も出版するほどの有名人という設定になっている。その回顧録の愛読者であるノエルは、そこから知りえた警視の人柄になにか期待するものがあったに違いない。

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マイク・ミルズ 『人生はビギナーズ』 レビュー

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50年代と冷戦以後、父と息子の関係から浮かび上がるふたつのサバービア体験

マルチなクリエーターの長編デビュー作といえば、表現は個性的でも底の浅い作品なのではないかと思いたくなるところだが、06年に公開されたマイク・ミルズの『サムサッカー』(05)はそんな先入観を見事に吹き払い、現代のサバービアにおける個人の在り様を実に巧みにとらえていた。

そして、ミルズのプライベートストーリーを映画化した新作『人生はビギナーズ』はさらに素晴らしい。彼の父親は、45年連れ添った妻に先立たれたあと、75歳にして同性愛者として残りの人生を楽しみたいとカミングアウトし、その言葉を実行し、告白から5年後に他界したという。

この映画では、ミルズの分身オリヴァーとカミングアウトした父親ハルとの関係、かつての両親の生活や自分という存在を見つめなおすオリヴァーの回想、父親を癌で亡くした喪失感に苛まれる彼と風変わりな女性アナとの出会いという三つの流れが、時間軸を自在に操ることで絶妙に絡み合っていく。

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『MY HOUSE』 『まだ、人間』 試写+『アトモスフィア』上映会

試写室日記

本日は銀座近辺で試写を2本観たあとで、新宿眼科画廊で開かれた上映会に参加した。まったくの偶然だが、3本ともそれぞれに日本の現在、日常を強く意識した作品だった。

『MY HOUSE』 堤幸彦

堤監督がエンターテインメント大作とはまったく違うタイプの作品に挑戦。自分の意思でホームレスという生き方を選び、厳しい環境を受け入れつつも、都会に順応して軽やかに生きる主人公を通して、私たちの日常を見直す。音楽なしのモノクロ映画で、台詞も最小限といえるところまで削ぎ落とされている。

筆者が最も興味を覚えたのは、人物のコントラストを意識したドラマの構成だ。主人公のホームレスと普通の家族を対置させるような表現は不思議ではない。この映画では、主人公の可動式の家と郊外の小奇麗な一戸建てが対置される。その一戸建てには平均的な家族が暮らしているように思いたくなるが、この映画の場合はそうではない。

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クリント・イーストウッド 『J・エドガー』 レビュー

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死者の声としての回顧録、権力者が無力な一個人に戻る瞬間

初代FBI長官J・エドガー・フーヴァー(1895-1972)を題材にしたクリント・イーストウッド監督の『J・エドガー』の世界に入り込むためには、いくらか予習が必要かもしれない。フーヴァーはFBIを強力な組織に育てあげ、48年に渡って長官の座に君臨し、8人もの大統領に仕えた。

そんな彼は国民的英雄と讃えられる一方で、膨大な個人情報を密かに収集し、それを武器に権力を振るった。生前から同性愛者という噂が流れていたが、それが事実だとすれば、敵対する政治家にダメージを与えるために同性愛者という情報を流すような卑劣な手段を使っていた彼は、自分にも怯えていたことになる。

この映画では、20代から77歳に至るフーヴァーの人生の断片が、時間軸を自在に操りながら描き出されていく。筆者はフーヴァーの実像に迫るアンソニー・サマーズの『大統領たちが恐れた男――FBI長官フーヴァーの秘密の生涯』を読んだことがあったので、さほど気にならなかったが、予備知識がないとそんな複雑な構成に振り回され、テーマがぼやけてしまいかねない。

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『私が、生きる肌』 『捜査官X』 『ミッドナイトFM』 試写

試写室日記

本日は試写を3本。

『私が、生きる肌』 ペドロ・アルモドバル

『抱擁のかけら』(09)につづくアルモドバルの新作。『セクシリア』(82)でデビューし、初期アルモドバル作品の常連だったアントニオ・バンデラスが『アタメ』(89)以来、久しぶりに出演しているのもみどころ。

アルモドバルが好む状況や表現がこれでもかといわんばかりに詰め込まれ、濃密な空間を作り上げているが、まずはなんといっても“肌”に対するアプローチが素晴しい。本来なら肌の問題だけではすまない状況でありながら、それを「自己と他者を隔てる境界」としての肌に実に巧みに引き寄せ、独自の世界を切り拓いている。詳しいことはいずれまた。

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