マイケル・ウィンターボトム監督に取材

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新作『トリシュナ』に埋め込まれたサブテーマが見えてきた

新作『トリシュナ』がTIFFコンペ作品になっているマイケル・ウィンターボトム監督にインタビューしてきた。彼にインタビューするのは3度目。最初は『バタフライ・キス』で来日したとき、2度目は『いつまでも二人で』で、このときは電話インタビューだった。いずれにしても10年以上経過している。

ウィンターボトムは早口で、集中してくるとさらに早くなる。コメントの密度も濃いので、その場では把握できなかったことがあとでよみがえり、なるほどと思うことがある。今回もそういうことがあった。

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マイケル・ウィンターボトム 『トリシュナ』 上映

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ナラティブな要素を削ぎ落とし、状況を浮き彫りにする

東京国際映画祭のコンペ作品の1本、マイケル・ウィンターボトム監督の『トリシュナ』を会場で観た。原作はトマス・ハーディの『テス』。ウィンターボトムにとってハーディの小説の映画化は、『日陰のふたり』、『めぐり逢う大地』につづいて3度目ということになる。但し、最初からハーディの小説の映画化を目指していた作品ばかりではない。

『めぐり逢う大地』の場合は、アメリカになる前のアメリカを題材にした作品の構想を練っているうちに、それがハーディの世界に重なり、映画化ということになった(マイケル・ウィンターボトム・インタビュー参照)。この新作も、舞台を現代のインドに移しての映画化なので、その可能性もある。

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ロマン・ポランスキー 『ゴーストライター』 レビュー



Review

「私は私ではない。あなたは彼でも彼女でもない。彼らは彼らではない」

ロマン・ポランスキーの『ゴーストライター』の主人公は、元英国首相アダム・ラングの自叙伝執筆を依頼されたゴーストライターだ。彼はラングが滞在するアメリカ東海岸の孤島を訪れるが、執筆の作業には不穏な出来事がつきまとう。

前任のライターの事故死には不明な点があった。ラングが対テロ戦争で拷問に加担したというニュースが流れ、マスコミが押し寄せる。ラングの過去を調べだした彼は、いつしか国際政治の暗部に踏み込んでいる。

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『家族の庭』 『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『家族の庭』 マイク・リー

マイク・リーの作品は観ていることは観ているがあまり好きになれなかった。観ているうちに演劇と映画と一体どちらが大切なのだろうかという疑問がもたげてくる。彼の映画には、演劇が映画の上位にくる瞬間がある。だから「映画」に集中できないのだ。

『ヴェラ・ドレイク』もとてもしんどかったので、気が重かったのだが、この新作ははじめて心から酔うことができた。役者が素晴らしいことは最初からわかっているが、芝居でごりごり押してこない。空間のとらえ方とかカメラの動きに「映画」が感じられる。

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80年代イギリス映画を振り返る その一

トピックス

先月のこと、11月刊行予定の『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)の原稿絡みで資料をひっくり返しているときに、行方不明になっていたアレックス・コックスの『レポマン』のパンフが出てきた。

そこに書いた原稿はまだHPにアップしていなかった。『レポマン』の作品評とかではなく、80年代中頃のイギリス映画の状況。いずれ整理してHPにアップするつもりだが、ひとまずブログで公開。いろいろ甦ってくるものがある。懐かしい。

イギリス映画界期待の新星

■■転換期にあるイギリス映画界■■

イギリス映画界は、長年にわたって衰退の一途をたどっている。映画館は年々減少し、イギリス映画自体も次々と流れ込むアメリカ映画の攻勢に押しまくられているためにその製作もままならず、そればかりか、アメリカ資本による支配が着実に浸透し、イギリス映画関係者がアメリカ映画のクルーとして活躍するというのも珍しいことではないというのが、昨今のイギリス映画界の実情である。

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