アスガー・レス 『崖っぷちの男』 レビュー

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先読みできないサスペンスにユーモアを交えて描く
痛快 “交渉人” 映画

アスガー・レス監督の『崖っぷちの男』は、冒頭からいきなり私たちを緊張感と臨場感が際立つ状況に引き込む。ルーズヴェルト・ホテルにウォーカーと名乗ってチェックインした男が、部屋の窓から壁面の縁に降り立つ。男の存在に気づいた通行人は、自殺志願者に違いないと思い、足を止めて騒ぎ出す。マスコミが駆けつけ、警察が道路を封鎖する。

しかし、私たち観客には、男が自殺しようとしているのではないことがわかってくる。シンシン刑務所に服役していた主人公ニック・キャシディは、元相棒の刑事の計らいで父親の葬儀に参列したあと、見張りの警官の隙を突いて逃走する。それは偶発的な出来事のように見えるが、間もなくそうではないことが明らかになる。追跡を振り切ったニックがたどり着いた倉庫には、クレジットカードや現金などが用意されていたからだ。

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ニコラウス・ゲイハルター 『プリピャチ』 レビュー

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人類の未来をめぐる大きな物語の礎となるような日常の断片

ニコラウス・ゲイハルター監督の『プリピャチ』(99)では、チェルノブイリ原発事故から12年が経過した時点で、立ち入りが禁じられた“ゾーン”に暮らしていたり、あるいはそこで働いている人々の姿が映し出される。この映画から見えてくる世界の意味を明らかにするためには、ゾーンの外側に広がる世界と内側の世界で、どのように12年という時間が流れていたのかを確認しておくべきだろう。

この映画の製作年である99年から振り返ってみたとき、最も大きな事件は、ソ連の崩壊と冷戦の終結だといえる。そこから世界は変わった。ポストモダンという言葉がもてはやされ、歴史や人類の普遍の未来を語る大きな物語は終わりを告げ、ひとつの共通する世界が失われた。そういう認識が浸透していった。

政治学者のジョン・グレイは『グローバリズムという妄想』のなかで、後期近代資本主義は「人間を断片化された現実と意味のない選択の氾濫の中に放り出す」と書いている。確かに、情報の洪水のなかで近代の確実性は破壊され、大きな物語は失われたかに見えた。

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ジム・シェリダン 『ドリームハウス』 レビュー

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「夢」と「狂気」と「作話」の結びつきが意味するものとは…

ジム・シェリダンが『マイ・ブラザー』につづいて監督した『ドリームハウス』は、有能な編集者ウィル・エイテンテンが長年勤めた会社を去るところから始まる。彼は購入したばかりのマイホームで小説を書きながら、妻と二人の娘たちとともに過ごす決意をした。しかしそのマイホームでは、外から男が室内を覗き込んでいたり、少年少女たちが地下室に忍び込んで、怪しげな儀式を行うなど、奇妙な出来事がつづく。

やがて不吉な事実が明らかになる。5年前にその家で殺人事件が起きていた。母子三人が殺害され、頭部を撃たれた父親に容疑がかけられた。その父親は事件後に精神を病み、施設に入所していたが、現在は行方不明になっていた。

この映画は、サイコスリラー的な要素が強い前半とヒューマンドラマ的な要素が際立つ後半に大きく分けることができる。そんな構成で描かれる物語が受け入れられるかどうかは、前半の先の読めない展開がどう解釈されるかにかかっているといえる。

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ジャファール・パナヒ 『これは映画ではない』 レビュー

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パナヒと映画の登場人物の思い、外で爆竹を鳴らす人の思い

反体制的な活動を行なったとして6年の懲役と20年の映画製作禁止を言い渡されたイランの名匠ジャファール・パナヒ監督。

『これは映画ではない』は、軟禁状態にあるパナヒが、友人のモジタバ・ミルタマスブ監督の協力を得て自宅で撮り上げた異色の作品だ。彼はUSBファイルに収めた映像をお菓子の缶に隠し、ある知人に託して国外に持ち出した。

このタイトルには、映画でなければ何を作っても違反にならないだろうという痛烈な皮肉が込められているが、中身の方も一筋縄ではいかない。

自宅で脚本を読むだけなら問題ないと考えたパナヒは、絨毯にテープを貼って舞台を作り、撮影許可が得られなかった脚本を再現していく。やがてそれでは物足りなくなり、過去の監督作のDVDを再生しながら、映画とはなにかを語り出す。

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ニコラウス・ゲイハルター 『眠れぬ夜の仕事図鑑』 レビュー



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私たちは豊かで自由なのか、それとも生の奴隷として管理されているのか

ドキュメンタリー作家ニコラウス・ゲイハルターは、普段目にすることのない領域に光をあてることによって、私たちが生きているのがどんな世界なのかを浮き彫りにしてみせる。

『いのちの食べかた』で工業化された食糧生産の実態に迫った彼が、新作で注目するのは“夜に活動する人々”だ。ヨーロッパ十カ国を巡り、切り取られた夜の風景には、例によってナレーションや説明はなく、私たちの想像力を刺激する。

この映画でまず印象に残るのは、治安に関わる職業だ。冒頭と終盤には国境警備の模様が配置され、街中の監視や警察官の訓練の現場、さらにはロマ(ジプシー)の強制立ち退きや難民申請を却下された外国人の強制送還の執行にも目が向けられる。

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