ウルリヒ・ザイドル 『パラダイス:愛/神/希望』3部作 レビュー

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現実の世界では得られないもの

オーストリアの鬼才ウルリヒ・ザイドル監督は、まず90年代に一連のドキュメンタリー作品で異彩を放ち、新しい世紀に入った頃から次第に劇映画に重心を移すようになった。但し、ドキュメンタリーであれ劇映画であれ、タブーを恐れない挑発的な表現で、均質化、標準化された社会や人間に揺さぶりをかけ、地獄の底までとことんリアルを追求するような姿勢に変わりはない。

「パラダイス3部作」はそんなザイドルの新作だ。この3部作は当初、ひとつの長大な物語として構想されていたという。だからそれぞれのヒロインには明確な繋がりがある。

『パラダイス:愛』では、ウィーンで自閉症患者のヘルパーとして働く50代のシングルマザー、テレサが、一人娘のメラニーを姉アンナ・マリアの家に預け、ケニアの美しいビーチリゾートでヴァカンスを過ごし、セックス観光にはまっていく。『パラダイス:神』では、レントゲン技師として働く敬虔なカトリック教徒のアンナ・マリアが、夏休みの日々を移民への布教活動、祈祷会、そして何よりも人々の不貞の罪を背負って自らの身体を鞭打つことに費やす。『パラダイス:希望』では、テレサの13歳の娘メラニーが、人里離れた山奥で行われる夏休みの青少年向けダイエット合宿に参加し、父親ほどに年齢差のある合宿所の医師に初めて恋をする。

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ポン・ジュノ 『スノーピアサー』 レビュー

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テクノロジーに依存した閉ざされた世界がたどり着く場所

韓国の異才ポン・ジュノは、『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『母なる証明』といった作品で、実際の連続殺人事件や突然変異で生まれた怪物の背後に北の脅威や軍事政権、韓米同盟などを見据え、巧妙に映し出してきた。

この監督のそんな洞察力や想像力は、海外の大舞台でも通用するのか。フランスのコミックを大胆に脚色し、国際的な豪華キャストを起用した新作『スノーピアサー』にその答えがある。

地球温暖化を防ぐために化学薬品が撒かれた結果、新たな氷河期に突入した地球では、大企業が製造し、大陸を結んで走り続ける列車“スノーピアサー”だけが、残された人類の唯一の生存場所となっている。

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ジャン=マルク・ヴァレ 『ダラス・バイヤーズクラブ』 レビュー

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伝統的なカウボーイ文化から排除され、カウボーイに還る

実話に基づくジャン=マルク・ヴァレ監督の『ダラス・バイヤーズクラブ』の主人公は、80年代半ばのテキサスで電気技師として働きながら、ロデオと酒と女に明け暮れるカウボーイ、ロン・ウッドルーフだ。ある日、自分のトレーラーハウスで意識を失い、医師からHIV陽性、余命30日と宣告された彼は、動揺しつつもエイズの情報をかき集める。

ランディ・シルツの大著『そしてエイズは蔓延した』に書かれているように、当時のアメリカで何らかの治験薬を投与されていたエイズ患者は1割にも満たず、薬剤の入念な試験が終わるのを待つ間に力尽きる患者が跡を絶たない状況だった。

そこでこの主人公は、メキシコに行って国外で流通する治療薬を仕入れ、自分で使うだけでなく、商売も始める。直接、薬を売買するのはまずいので、会費を募り、必要な薬を無料で配布するというシステムを作る。それが“ダラス・バイヤーズクラブ”だ。

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ブライアン・デ・パルマ 『パッション』 レビュー

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表層と無意識、現実とイメージ――独自の視点で描く個と世界

ブライアン・デ・パルマがどんな映像作家であるのかを説明するのは容易ではない。70年代から80年代初頭にかけて『悪魔のシスター』(73)、『キャリー』(76)、『殺しのドレス』(80)、『ミッドナイトクロス』(81)といった作品で頭角を現したときには、アルフレッド・ヒッチコックの影響が顕著だったことから、その後継者と位置づけられていた。それらの作品に盛り込まれたスプリット・スクリーン、スローモーション、短いカット割り、カメラの360度回転や一人称のアングルといった映像表現は、デ・パルマ・カットと呼ばれ、熱狂的なファンを生み出した。

しかし、ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』の現代版である『スカーフェイス』(83)以降は、『アンタッチャブル』(87)や『ミッション:インポッシブル』(96)のような人気TVシリーズを映画化した娯楽大作から、『ミッション・トゥ・マーズ』(00)のようなSFやジェイムズ・エルロイのベストセラーを映画化した『ブラック・ダリア』(06)のようなノワールまで、様々なジャンルの作品を手がける作家へと変貌を遂げてきた。

デ・パルマの美学が最も輝きを放つのが、サスペンス・スリラーのジャンルであることは間違いないが、一方で彼の作品には、ジャンルでは括れない独自の視点が埋め込まれてもいる。デ・パルマは、幼年期に厳しく理解のない父親や兄に抑圧されていたことがトラウマとなり、それが映画に登場する男女の関係に様々なかたちで反映されている。

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ケイト・ショートランド 『さよなら、アドルフ』 レビュー

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ナチス・ドイツ時代の少女の物語に自分の世界観を反映して

■デビュー作から8年の歳月を経て■

オーストラリアの女性監督ケイト・ショートランドにとって2作目となる『さよなら、アドルフ』の舞台は1945年春、敗戦直後のドイツだ。ナチス親衛隊だった父と母を連合軍に拘束された14歳の少女ローレは、妹のリーゼル、双子の弟のギュンターとユルゲン、まだ赤ん坊のペーターを従え、900キロ離れた北部のハンブルクにある祖母の家を目指し、荒廃した国内を縦断していく。

ナチスの関係者はたとえ子供であっても冷たくあしらわれる。そんななか、飢えや病で窮地に立つ彼らに救いの手を差し伸べたのは、トーマスというユダヤ人の青年だった。

ショートランド監督は2004年に発表したデビュー作『15歳のダイアリー』でオーストラリア映画協会賞を総なめにした。

この映画では、母親の恋人を誘惑しているところを見つかり、家を飛び出した15歳の少女ハイジが、当てもなくたどり着いたスキーリゾート地で自活し、傷つきながら成長を遂げていく。本格的に映画作りを学ぶ前に大学でファインアートと歴史の勉強をしていたショートランドは、ナン・ゴールディンやゲルハルト・リヒター、ビル・ヘンソンらの作品を意識し、手持ちカメラを駆使した映像によって、孤独と欲望の間を不安定に揺れる少女の世界を鮮やかに浮き彫りにしてみせた。

このデビュー作と本作には共通点がある。『15歳のダイアリー』の冒頭では、風に揺れる洗濯物の隙間に少女の姿が垣間見られ、『さよなら、アドルフ』では、髪を洗って窓辺に立つ少女の後姿がレースのカーテンの向こうに浮かび上がる。ヒロインたちのそんな曖昧な輪郭は、彼女たちが現実の真っ只中に放り出されることによって明確にされていく。どちらの作品でも少女のイニシエーション(通過儀礼)が独自の美学で描き出される。

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