アンドレア・セグレ 『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』 レビュー

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単に社会的な要素を加味することと、すべて見えていながら滲ませるだけに止めることの違い

アンドレア・セグレ監督の劇映画デビュー作『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』の舞台は、ヴェネチアの南、ラグーナ(潟)に浮かぶ漁港キオッジャだ。物語は、町の片隅に店を構える“パラディーゾ”というオステリアを中心に展開していく。

ヒロインは、その店で働くことになった中国系移民のシュン・リー。これまで縫製工場で働いていた彼女は、戸惑いながらも常連の男たちの好みを覚え、次第に場に溶け込んでいく。常連客のひとり、語呂合わせが得意なことから“詩人”と呼ばれる老漁師ベーピは、そんな彼女に関心を持ち、言葉を交わすようになる。

ベーピはもう30年もこの漁港に暮らしているから、地元民のように見えるが、実は彼もまた故郷を喪失したディアスポラだ。彼の故郷はチトーの時代のユーゴスラビアで、おそらくはチトーの死後、解体に向かうユーゴを離れ、キオッジャに流れてきたものと思われる。

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『先祖になる』 レビュー ツイート・いいね・シェア 御礼!



トピックス

笑顔がなんとも素敵なこの老人からいま私たちが学べることは決して少なくない

池谷薫監督の新作『先祖になる』は、筆者の心の深いところに響く作品でした。それだけにいろいろ感じるものがあり、ブログにアップしたレビューは長めのテキストになりました。ネットではやはり長文のテキストは敬遠されがちなので、正直、それほど多くの人の目にとまるとは思っていませんでした。

ところが、ベニチガヤさんのような常連さんだけではなく、はじめて来られたと思われる方々が、ときに本文の引用なども交えていろいろツイートしてくださり、PVがどんどん上昇し、びっくりしました。

その後、『先祖になる』公式サイトのfacebookに連動した最新情報でも取り上げていただき、嬉しかったのですが、同時に少々不安にもなりました。冒頭に書いたように、とにかく長文のレビューですから、このレビュー情報だけが浮いてしまうのではと思ったのですが、まさかいいねが3ケタに迫り、コメントまでいただき、またも面食らいました。

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『ハッシュパピー バスタブ島の少女』 『天使の分け前』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『ハッシュパピー バスタブ島の少女』 ベン・ザイトリン

『君と歩く世界』試写室日記に書いたような事情で、この映画もほとんど予備知識なしに試写に出向いた。監督が無名の新人で、少女の物語で、本年度のアカデミー賞の主要4部門にノミネートされたということくらいか。巨大な野獣と小さな少女が向き合っている写真にはちょっと興味をそそられていた。

映画を観ながら、ニューオーリンズから遠くないであろう、どことも特定されないバイユーを舞台にしていて、ハリケーン・カトリーナや石油の流出事故などが意識された物語であることがわかる。このブログでも様々なかたちで取り上げているようにニューオーリンズやカトリーナについては非常に興味があるので、引き込まれる。

最初に連想したのはハーモニー・コリンの『ガンモ』。『ガンモ』が、竜巻の襲撃から立ち直れず、貧困にあえぐ人々の営みを描いていて、この映画の場合には、ハリケーンや地盤沈下で人々が追い詰められていくということだけではない。『ガンモ』が中西部に設定されていながら、実はコリンが育ったナッシュヴィル郊外のホワイトトラッシュの町で撮影され、コリンのなかにある南部的な感性がそこに吐き出されていたように、この映画でも南部の文化が独特の空気をかもし出している。

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『君と歩く世界』 試写

試写室日記

本日は試写を1本。

『君と歩く世界』 ジャック・オディアール

昨年の後半は『70年代アメリカ映画100』の作業にずいぶん時間を費やし、読みかけの本、書きかけの原稿、調べかけのテーマなどなど、中途半端になっているものの遅れを取り戻すので精一杯で、新作映画の情報に疎くなっている。この作品もまったくのノーマークだった。

マリオン・コティヤール主演。試写状で、両脚を失ったシャチの調教師であるヒロインが、普通とは違う男に出会って、再生を果たしていくというようなアウトラインだけを確認して、よくあるお涙頂戴映画だったらいやだなと思いつつ試写に出向いた。実は監督がジャック・オディアールであることも映画を観て知った(試写状は、マリオン・コティヤールの名前だけがやけに大きかったような気がする)。

映画の冒頭で社会の底辺を這いずるような父親と息子の姿を見て、瞬時に背筋がピンと伸び、貧しさのなかで生きることから生まれる軋轢や闘争心がむき出しになるヒリヒリするような世界に引き込まれた。いい、すごくいい。誤解を恐れずに書けば、そんな世界のなかでは、両脚を失ったヒロインがそれを意識することが、あたかもナルシズムのように見えてしまうといっても過言ではない。

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池谷薫 『先祖になる』 レビュー



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震災が基層文化を隆起させ、日本固有の信仰を炙り出す

『蟻の兵隊』の池谷薫監督の新作『先祖になる』は、東日本大震災の被災地・岩手県陸前高田市で農林業を営む77歳の佐藤直志に迫ったドキュメンタリーだ。震災のひと月後に陸前高田を訪れ、この老人に出会った池谷監督とクルーは、1年6ヵ月かけて彼を追い、その生き様を浮き彫りにしている。

佐藤直志の家は大津波で壊され、消防団員だった彼の長男は波にのまれて亡くなった。しかし老人は挫けない。仮設住宅に移ることを拒み、壊れた家を離れようとはしない。きこりでもある彼は、元の場所に家を建て直す決断をくだす。材木を確保するために、津波で枯れた杉をチェーンソーで伐り倒し、病魔とも闘いながら夢に向かって突き進んでいく。

これはドキュメンタリーそのものの醍醐味というべきかもしれないが、池谷監督の作品では導入部から結末に至るまでに、テーマや開ける世界が大きく変わっている。

文革を題材にした『延安の娘』では、最初は父親を探す娘が主人公に見えるが、次第にかつての下放青年に広がる波紋が深い意味を持つようになる。孤軍奮闘する元残留兵・奥村和一に迫った『蟻の兵隊』では、最初は残留問題が主題に見えるが、やがて私たちは、奥村が別の顔を露にし、変貌を遂げていくのを目の当たりにする。

新作『先祖になる』にも同じことがいえる。最初は佐藤直志を通して震災を描き出す作品のように見える。しかし老人の生き様からは次第に異なるテーマが浮かび上がってくる。

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