アンドレア・セグレ 『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』 レビュー

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単に社会的な要素を加味することと、すべて見えていながら滲ませるだけに止めることの違い

アンドレア・セグレ監督の劇映画デビュー作『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』の舞台は、ヴェネチアの南、ラグーナ(潟)に浮かぶ漁港キオッジャだ。物語は、町の片隅に店を構える“パラディーゾ”というオステリアを中心に展開していく。

ヒロインは、その店で働くことになった中国系移民のシュン・リー。これまで縫製工場で働いていた彼女は、戸惑いながらも常連の男たちの好みを覚え、次第に場に溶け込んでいく。常連客のひとり、語呂合わせが得意なことから“詩人”と呼ばれる老漁師ベーピは、そんな彼女に関心を持ち、言葉を交わすようになる。

ベーピはもう30年もこの漁港に暮らしているから、地元民のように見えるが、実は彼もまた故郷を喪失したディアスポラだ。彼の故郷はチトーの時代のユーゴスラビアで、おそらくはチトーの死後、解体に向かうユーゴを離れ、キオッジャに流れてきたものと思われる。

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(昔の)ブライアン・ツェー&アリス・マク 『マクダル パイナップルパン王子』 インタビュー



トピックス

「マクダル」シリーズのクリエーターが作品世界の背景や独自の表現について語る

■■シリーズ最新作の『マクダルのカンフーようちえん』が公開されるので、まだHPにアップしていなかった『マクダル パイナップルパン王子』公開時のインタビューをひとまずブログにアップします。■■

原作者のブライアン・ツェー(謝立文)と原画家のアリス・マク(麥家碧)のコンビが生み出した「マクダルとマクマグ」のシリーズは、マンガや絵本からテレビ・アニメ、そして映画へと進出し、地元香港で大人たちも巻き込む社会現象を引き起こしたという。そんなシリーズの軌跡と香港の置かれた状況の変化は密接に結びついているように見える。

香港の返還が決定したのが84年で、89年の天安門事件の衝撃を経て、返還に至る90年代の香港では、当然のことながら香港や香港人であることが強く意識されるようになった。そして返還後は、「一国二制度」という現実と向き合っている。

一方、「マクダルとマクマグ」のシリーズは、91年にマクマグを主人公としたマンガの連載が始まり、94年に母子家庭で育つマクダルが登場すると同時に、物語に社会的な要素を盛り込むという転換を図り、より大きな注目を集めるようになった。そして97年からケーブルテレビでアニメの放映が始まり、2000年にそれが終了すると、2001年からは映画の公開が続いている。

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『マクダルのカンフーようちえん』 『桐島、部活やめるってよ』 『鍵泥棒のメソッド』 試写

試写室日記

本日は試写を3本。

『マクダルのカンフーようちえん』 ブライアン・ツェー

子ブタのキャラを主人公にした「マクダル」シリーズの最新作。以前公開された『マクダル パイナップルパン王子』とは違い、今回は日本語吹き替え版なので、細かなニュアンスがいくぶんぼやけている気がしないでもないが、それでも様々な“含み”が埋め込まれていることは読み取れる。

筆者が最も印象的だったのは、“発明”と“推手”の対比だ。

この映画には、マクダルの18代前のご先祖様であるマクデブが登場する。彼は発明家でもあり、電話やクレジットカードなど様々なものを発明したことになっている。だが、それらは役に立たなかった。その訳は、時代が早すぎたというのとはちょっと違う。たとえば、電話が分かりやすいと思うが、発明してもそれを使って話す相手がいなかったのだ。つまり、他者との関係性がないから、役に立たなかったということになる。

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ワン・ビン 『無言歌』 レビュー



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過去を振り返る視点を排除し死者たちの声なき声を拾い上げる

世界の注目を集める中国の鬼才ワン・ビン監督の日本初公開作品『無言歌』は、ドキュメンタリーで才能を開花させた彼にとって初の劇映画となる。その題材は、文革の嵐が吹き荒れる前に起きた「反右派闘争」の悲劇だ。

毛沢東は56年に党批判を歓迎する運動を推進した後、57年に方針を転換し、苛烈な粛清を開始した。そして、党批判や家族の出自によって「右派」とされた者たちは、辺境での過酷な労働、そして激烈な飢餓との闘いを強いられることになった。

この悲劇には、現代中国の政治体制の原点を見ることができるが、ワン監督のアプローチはそんなことを考える余裕を与えない。

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『私が、生きる肌』 『捜査官X』 『ミッドナイトFM』 試写

試写室日記

本日は試写を3本。

『私が、生きる肌』 ペドロ・アルモドバル

『抱擁のかけら』(09)につづくアルモドバルの新作。『セクシリア』(82)でデビューし、初期アルモドバル作品の常連だったアントニオ・バンデラスが『アタメ』(89)以来、久しぶりに出演しているのもみどころ。

アルモドバルが好む状況や表現がこれでもかといわんばかりに詰め込まれ、濃密な空間を作り上げているが、まずはなんといっても“肌”に対するアプローチが素晴しい。本来なら肌の問題だけではすまない状況でありながら、それを「自己と他者を隔てる境界」としての肌に実に巧みに引き寄せ、独自の世界を切り拓いている。詳しいことはいずれまた。

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